03/28/2005 熱が出て節々が痛んで、、やっと復活。連続の風邪で、疲れた。

米子さんに借りた『ダヴィンチコード上・下』を読んだ。

話題になっていたのは知っていたけれど、何がそんなにおもしろいのか、よくわからない。キリスト教徒にとっては違う意味もあるのかも知れないけれど、それでもおもしろいかどうか。わたしは、イエス・キリストはいたとしたら人間だと思っているし、マグダラのマリアが娼婦でも王女でもちっとも構わないし、、だいたいキリスト自身が地上の王権のようなものに意味を見い出すだろうか、、なんて思ってしまう。作者紹介で、父は、、、母は、、、妻は、、、と、いかにも『頭が良くて芸術的一家』の様に書いてあるけれど、こういうの変じゃない?終わり方も納得できない。

03/26/2005 きのうから雪が降っている。大雪です。寒気がすると思ったら、しっかり発熱。またまた風邪か。どうなっているんだ。頭が痛い。とにかく、寝る。

03/21/2005 イイ人チェック…暮れに初期癌の手術をした妙子さんは、「癌になりやすい性格」というのがあるのだと知り毎日「イイ人チェック」をしていた。『今日、自分は何回イイ人だったか?』反省して×を付ける。
長年の友人でも、話したくない時には電話を切る。
面倒な相談事には関わらない。
『面倒見のいい人』を止めることに決めたらしい。

いつかと言わず、『一緒にインドに行きましょう!』ということになった。わたしはメイドのように、ついて行きます。

彼女の原点はインドにあるらしい。理性的、理論的にまくしたてる『インド式 』が目からウロコで人生観変えたって。

03/20/2005 風邪で具合が悪かった時、本棚に『林芙美子』を見つけた。『東北中学校』、、、おいおい、全集だよ、揃っていて何ぼのものだよ、返しておきましょうよ。。

どうやって返そうかと考える前に、読んでみた。この辺って全然読んでないから、おもしろかった。林芙美子って貧乏の代名詞みたいだけど、、行商人の娘で、小学校もろくに出ていなくて、カフェの女給で、、、。なんか、イメージ違った。確かに、親は放浪の行商人 だけど、村や人のしがらみから離れていて、楽しそう。母や養父が子どもの事をすごく考えているのもわかる。「親に内緒で勝手に受けた」って言っても、女学校出ているんだし。貧乏も男達との出合いも、自分で選んでいるの。当時受けたのは、貧乏なのか?自由なのか?

ついでに、平林たえ子、宇野千代、岡本かの子、、なんかも読んでみた。自由奔放かと思っていた岡本かの子なんかが、一番不自由そうだ。「プロレタリア文学」はプロレタリアによっては書かれない、というのが命取り。

03/19/2005 昨日、女はみんな健気、で結んでしまったが、「男もきっと健気」なんだと思う。ヒトはみんな健気。いえいえ、御主人様に連れ添う犬も、気ままにふるまってみせる猫も、、寒さに耐えじっとたたずむスズメも鳩もみな健気。雪の下から芽を出す植物も、あー、生きとし生けるものみんな健気だなあ。
そういえば、横浜・山下公園の赤い靴の女の子の像の側のベンチにいたアベックは、頭上から急降下するトンビに食べていたお菓子を袋ごとさらわれていた。カモメもいっぱいいて、正面 から向かってくるのでこわかった。ヒッチコックの映画みたいだった。この頃デジカメの電池がフル充電してもすぐになくなる。そろそろ、、

赤レンガ倉庫へ行くついでに、横浜西洋館めぐりをしてきた。市で保存・公開している所は無料です。
JR石川町駅→イタリア山庭園→山手通り→港の見える丘公園→山下公園→赤レンガ倉庫 。
ゆっくり 徒歩で見学、約4時間。

03/18/2005 39度の熱を出したり、咳がひどかったり、、いろいろありました。まだ、声がへん。横浜、東京、、行って来ました。自分は非日常楽しんでいるのに、携帯って、平気で日常として入り込んでくるから、いやだなあ。

未知は元気そうだったし、ミヤちゃんには、「今日、若く見える。かわいい」と、おほめの言葉をいただくし、、、<小さめのジャケットに破れたGパンがいいのかな、、>、妙子さんも元気そうだったし、、、女はみんな健気。

03/09/2005 今日は三水村の自然酵母のパン屋さん「きなり」の二人に会った。初めて迎えた長野の冬の大雪に驚いたようだったが、腰が座っている様子が好ましかった。

03/08/2005 家計簿、とか出納帳とか、こずかい帳、付けてますか?わたしは付けます。付けていないと、どこでどう無くなっていくのか全体像がつかめず不安で、簡単なのでも付けています。
始まりは高校生の時、同じ方面の子と下宿を始めた時からだと思う。米味噌野菜は家から持参で、8畳と4畳半の間借で、家賃5千円。南向きの八畳をとった彼女が三千円で自分は二千円。カレーを作るのに肉を100gとか、、ちまちまと買い物をしても通 学定期代より安いと親を説得した。その頃から奨学金も貰っていたし。

運動部をしていたわたしは帰りが遅く、相棒の彼女が晩ご飯の用意をした。わたしはそのまま先に寝て、夜中のニ時頃、彼女が眠る時交代で起きる。わたしは朝食とお弁当を作る。すごく充実した暮らしだった。勉強もしたし、友人たちが集まることもあった<女子高です>。
南沙織似の彼女は色白に憧れてロゼット洗顔パスタを使っていた。

とりとめのない年寄りの思い出話みたいになってきた。

とにかく、自分は家計簿をつけなければいられないようなそういう人だということ。

03/07/2005 ノロウィルス、、てか?そうかもね。昔だったら「お腹にくる風邪」だったものが病原菌が見つかって「食中毒」となると、なんか「不潔」って言われてるみたいで公言をはばかる。まわりを見回しても自分一人みたいなので、違うかもしれない。もう治まったからいいや。
ポルト+ポルタイユの公演チラシが届いている。東京、横浜、大阪、、、やるしかないね。。。

03/04/2005 3月になったのに、雪が降っている。遠くの外で怒鳴り声が聞こえるので恐い。覗き見はしないでおく。
昨日、突然の吐き気と下痢、トイレにこもること一時間。顔が真っ白で、がたがた震える。こたつにもぐって二時間寝たら普通 になっていた。なんだったんでしょう?一晩たって、こわごわ、うどんを食べる。

3月3日 ひなまつり。たかはしびわさん、御来長。到着寸前に迷ってしまったみたいだ。久しぶりで、この間に『一枚の絵』山紫水明賞受賞!などもあり、<文字通 り>『ほんの、一献』差し上げる。おめでとう、よかったね、という気持ちと共に、「わたしもがんばろう」「負けないぞ」というような気持ちもある。若い人は、50を過ぎたおばさんなど、もう「終わった人」と思っているかも知れないが、<誤解しないで!びわくんがそう思っているとか、言ったとかじゃないよ>まだまだ人生、そう簡単に終わらせてもらえそうもないし、やりたいこと、やれることの半分もやってないような気がするというだけだ。ひたむきにひたすら絵を描いているびわクンは偉いと思う。

3月2日 北野文芸座でSO関連のワールドミュージックナイト、で、おおたか静流がタダで聞けるというので行って来た。おおたか静流はギターを一人連れて、その後の、京胡の人はカラオケだった。なんとなく、昔、田舎の小学校で見た「歌謡ショー」の雰囲気でもあった。時間も短く、「やっぱりタダはタダだな」という気もしたが、それなりに楽しかった。おおたか静流はNHK「日本語であそぼ」にも出ているそうで<この頃見ていないので知らなかった>、童謡をいろいろアレンジした物を歌ったり、変な声を出したりしていた。京胡というのは京劇に使う竹製の小さな二胡で、NHKのどこかで聞いたことのあるメロディーだった。義経のテーマソングにも使われるそうです。京胡の人は京劇の役者でもあるそうで、出来上がった表情などが、笑ってしまいそうで困った。でも、声の出し方とか、京胡の「歌い方」とか、すごい訓練、熟練を感じさせるものだった。客のつかみ方もうまい。二部になってもステージにギターが置いたままになっていたので「きっと」と思っていたが、最後のアンコールは3人で「花」を歌った。京胡の人<名前が憶えられなくてすみません>もおおたか静流を上回る熱唱だった。北野文芸座、初体験。これはSOファミリー向けの企画らしいが「ファミリー」の意味がいま一つ良く分からない。<関係者ってことか?市民には開放しないのか?と思ったけど、人がそんなに入っていないし、当日外で「これからコンサートがありますよ、無料ですよ」ってやっていた>。3月3日はハワイアンナイトでKONISHIKIが来る。NHKがかんでいるのか?