これは全くの私的なことであり、また、わたし自身実感の湧かないことだけれど、母は今年1月23日、深夜、亡くなった。1月19日に72回目の誕生日を迎えた所だった。救急車で病院へ運ぶという切羽詰まった姪からの電話で吹雪の中を病院へ駆け付けた時、母はもう、家に帰り座敷きに顔を覆われて寝かされていた。
母を困らせたことはたくさんあったが、叱られた記憶はない。
母の部屋を片付けていたら、中学の卒業記念の文集や家庭科のノートと思われる物が大事にしまってあった。母の年代は新制中学の3年次編入、最初の卒業生であったらしい。『答辞』の下書きや作文など、4人兄弟の長女らしく優等生のおねえさんっぽさが伺える。字もとてもきれいで、表紙の裏に描かれた少女絵やスケッチなども上手で驚いた。写 真をもらった礼状の下書きなどでは、太目であることを気にしていたり、容姿に対する若干の自惚れを認めていたり、健康的な少女の姿が浮かんでくる。その何年後かには農家の嫁としての過酷な生活が始まるのかと感慨深い。
どこの家族もその成員にしかわからない病的なものを抱えている、とわたしは思っているし、人生というのは思うより遥かに過酷なものである。母はとにもかくにも耐え切った。その事実だけは受け止めておきたい。
亡くなる一週間程前、一緒にまくらを並べて眠った時、枕元に目覚まし時計と小さなカセットレコーダーを置き、朝、目覚ましを止めると同時にカセットにスイッチを入れ、カラオケ教室の課題の曲を聞いていたのがおかしかった。
古いノートに書かれた、昔の田舎道の闇の深さを思い出させる、或いは、人生そのものを直感した一遍の詩のようにも思えるものをここに掲げます。
『光』
おやすみなさい を言って 私は 真くらやみの人となった
今まで明るい電燈の光を浴びていた 私は 危うい所で つまづくのをまぬ がれた
もう何時頃なのか見当がつかない ただ あたりは真のくらやみである
しんしんと身に迫り来る夜の空
おそろしさと淋しさとで 私は 何も彼も夢中で走った
しばらくすると街灯の光が見えて来た
ほっとしたのも束の間 又 闇の中を歩かねばならない
電燈の光で 異様な影になって 目の前に現れる
茶の間の引き出しの一つに3冊のノートとたくさんのメモが残されていた。ノートは他に使った余りを使ったもの、メモは手近にあった切れ端のような紙。教えてくれた人の名前や電話番号が記されていたり、、母は新しいことをどんどん取り入れる方で、定番と言えるものはそれ程ないかも知れない。普段の料理はノートなど見ないで作ることの方が多かっただろう。それでも何かの折には広げていたノートをここに残しておきたい。採れ過ぎた野菜を使った保存食や漬け物など、分量 が多すぎたり、合<ごう>や匁<もんめ>が出てきたり、全体に保存と好みの関係で砂糖が多すぎる気もするけれど、それでもなるべくそのまま載せることにします。
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