声楽曲


80 .バッハ マタイ受難曲
リヒター、ミュンヘンバッハO&CHO ARCHIV これほどの不滅の名盤もないであろう。なにはともあれリヒターの真摯にバッハに向かう姿勢が直截に表されていてそれがそのまま我々の心を打つ。Soloのメンバーも又揃っている。又、各場面に於ける合唱の熱い高まりも特筆ものである。確かに宗教曲であるとはいえ、この様な演奏を聴くと「演奏行為とは一体何なのか」を改めて問い直されるのである。
メンゲルベルク、ACO PHILIPS マタイをこれほど強烈に感じさせてくれる盤もないであろう。初めてハイライト盤を聞いた時は正に驚天動地であった。聞こえてくる嗚咽の中に、第2次世界大戦という歴史も確実に刻まれ、人々の心と共に生き続けるマタイがしっかりと胸に刻印された。これはマタイと共に永遠に語り続けられる歴史的名盤である。


110. バッハ ヨハネ受難曲
リヒター、ミュンヘンバッハO&CHO ARCHIV マタイと全く同様のことが言える。マタイに比べると聴く頻度もずっと少なくなるが、ヨハネの代表盤と言えばやはり、これになるだろう。マタイと同じくエバンゲリストはヘフリガー。イエスはヘルマン・プライ。マタイがOperaticと称されるのに対してこちらはDramaticと言われる。聖書からの記述が多く、民衆(合唱)の出番が多くなるためであろう。繰り返し、都合3回奏されるコラールが美しい。40番のコラールがこの曲のクライマックスとの事だが、それ以下もソプラノ・ビオラ・ダ・ガンバのアリアを初め感動的である。


109. バッハ ロ短調ミサ
リヒター、ミュンヘンバッハO&CHO ARCHIV マタイの次に聴かれると言えばやはりこの曲だろうか。ロ短調という調性も影響しているかも知れないが、バッハ最晩年の大作、合唱曲の集大成というニュアンスが強い。深みのある曲である。リヒターの演奏によってこの曲を聴けるというのが何よりも嬉しい。こちらもLP


133. バッハ カンタータ 「心と口と行いと生活をもって」
リヒター、ミュンヘンバッハO&CHO ARCHIV バッハのカンタータの中で恐らくは一番有名であろう。1部2部の終曲に出てくるコラールが最も有名であり、オルガンコラールにも編曲されている。しかしやはり元の教会カンタータの方を聞きたい。ここでもやはりリヒターが熱い演奏を聴かせてくれている。「永遠よ、汝恐るべき言葉」とのカップリング。


134. バッハ カンタータ 「いとも美しい暁の星」
リヒター、ミュンヘンバッハO&CHO ARCHIV 教会カンタータの中でもコラールカンタータと呼ばれる。そのコラールカンタータの中でも一番の名曲がこの教会カンタータ第1番「いとも美しい暁の星」である。ヘフリガーのテノール、ディスカウのバリトンも又良い。最後に出てくるフィリップ・ニコライのコラール「私はなんという喜びを」も圧倒的である。教会カンタータ第4番「キリストは死のきずなに着きたまえり」とのカップリングである。こちらもコラールカンタータの名曲である。


135. バッハ 「 コーヒーカンタータ」 「農民カンタータ」
カール・フォレスター、BPO聖ヘトヴィッヒ大聖堂聖歌隊合唱団 SERAPHIM 教会カンタータに対し、こちらは世俗カンタータと呼ばれる。バッハは教会カンタータであれ、世俗カンタータであれ、巧みにこなす。まさに万人の心を持った作曲家である。ここでもフィッシャー・ディスカウの歌が生きてくる。又、この頃の名合唱団であった聖ヘトヴィッヒ大聖堂聖歌隊合唱団も熱い合唱を聴かせてくれる。


.ベートーベン 「荘厳ミサ曲」
ベーム、BPO DG ベームには2種類あるようなのですがモノラルの方。これほどの緊迫感、深み、暖かさは他にはありません。
クレンペラー、NPO EMI 確かに感動的な名演。ステレオだし。批評家のお薦めNO.1。でも私はやっぱりベームだな。
バーンスタインACO DG 今は昔、出てすぐ購入した。でも、ベームの後ではいまいちだった。レニーは熱いんだけれど。


191. ブラームス ドイツレクイエム
カラヤン、BPO DG ドイツ・レクイエムはこれまでに何回か歌ったことがあるので、その際最も参考になったのが、この盤。カラヤンの臭みが無いわけではないが、合唱が素晴らしいので、レファランスとして最適。そしてカラヤンらしく美しい。しかし、ブラームスの旋律というのは実に泣かせますねえ。
フルトベングラー、ストックホルムO&Cho EMI これはフルトベングラーファンのためのドイツ・レクイエム。ドイツ・レクイエムとしても最高だと私は思うのだけれどどうも人気がない。音も古いし、他人に勧めるのには躊躇するが、良いですよ、これ。


203. フォーレ レクイエム
クリュイタンス、パリ音楽院O、ロスアンヘレス、ディスカウ EMI 名盤中の名盤であり、今語るべき言葉を持たない。時をおいて何度聞いてみても又、新たな感動に打たれる。オルガンも含めた録音の素晴らしさの中、クリュインタンス、ロス・アンヘレス、ディスカウが名演を繰り広げ、清澄な空間が広がっていく。
コルボ、ベルリンSO、クレマン、フッテンロッハー ERATO 少年合唱、ボーイソプラノ・ソロによる演奏である。コルボならではの非常に透明な演奏が繰り広げられる。少年の声を使った効果も充分に出ているように思える。正に空気そのものが透明な感じである。


115. ヘンデル メサイア
ガーディナー、モンテベルディO&CHO PHILIPS ピリオド楽器による名盤。合唱も少人数ながら非常に明確に歌われている。現代における典型的な演奏と言えようか。
ビーチャム、ロイヤルフィル&CHO RCA グーセンス版による超ど派手な演奏であるが、非常に美しい。オケのうまさも絶品である。序曲、田園交響曲など。もしヘンデルが現在生きているとしたら、このような演奏こそ望んだかも知れない。


157. コダーイ ハンガリー詩編
フィリッチャイ、ベルリンRIASSO DG 1955年のMONO録音ながら、非常に熱い圧倒的に恩師コダーイへの共感に満ちたフィリッチャイの演奏である。ヘフリガーの歌唱も熱いなら、聖ヘドヴィッヒ大聖堂聖歌隊合唱団も熱い演奏を聴かせる。今後これだけの「ハンガリー詩篇」を聞かせるというのは難しいかも知れない。
ドラティ、ハンガリー国立SO HUNGAROTON フィリッチャイが弟子なら、ドラティも又、弟子である。優秀な指揮者ばかり集まっているという感じである。こちらの演奏もドラティならでは良い演奏なのだが、録音が今一なのがいけない。CDでは良くなっているのかも知れないが。


87. マーラー さすらう若人の歌
ディスカウ、フルトベングラー、PO EMI これほど有名な盤はなかろうと思うので特に記すことはない。しかしまだまだ若かったディスカウの歌唱の実に見事なこと。ディスカウとフルベンのマーラー、これほどの組み合わせは滅多にあるものではない。


88. マーラー子供の不思議な角笛
シュワルコップ、ディスカウ、セルLSO EMI 生きることの原体験。幼児の記憶。胎内回帰、ひょっとすれば何とも嫌みな曲にもなりそうなものをシュワルコップ、ディスカウの名唱が実に爽やかなものにしている。セルも又実に清冽。


94.. マーラー 亡き子をしのぶ歌
フェリアー、ワルター、VPO EMI 「大地の歌」と並ぶフェリアー、ワルターのコンビの傑作。リュッケルトの歌詞からすると愛児を亡くした父親の悲しみを歌ったものなので男声の方が自然であるが、その歌唱の深さにおいてこのフェリアーのものを取りたい。
ディスカウ、ケンペ、BPO EMI ディスカウが愛児を亡くした父親の悲しみを巧みに陰影濃く表現している。これがフルトベングラーだったらというのは無い物ねだり。


104. モーツアルト レクイエム
ベーム、VPO DG もう30年近く前になる演奏であるがいまだにこれを超える演奏が出ていない。soloや合唱も含めて尚かつ未完であることも考えると、なかなかこの曲は有名であるにも関わらず、演奏は難しいと言わざるを得ない。確かにこの演奏は密度が高く、通俗に堕す片鱗すら見せず、見事に昇華している。これに匹敵するのはフランスのサンジェルマン教会で聞いたミシェル・コルボ、コロンヌSOのライヴ演奏のみである。
ベーム、VSO Fontana 上記のものよりもウィーンシンフォニカとの旧盤を挙げる人も多い。録音はもう古くなっているが、その演奏には直截なもの、非常に熱いものがある。


244. モーツアルト ミサ曲ハ短調K.427
カラヤン、BPO、ウィーン楽友会cho DG カラヤン81年の演奏で、素晴らしく美しい響きで磨き上げている。いかにもカラヤンらしい表現であるが、こうしたものに対しては反感を覚える者も或いはいるかもしれない。


79. オルフ 「カルミナ・ブラーナ」
ヨッフム、ベルリンドイツオペラO&cho DG この盤なしにはカルミナブラーナは語れない不滅の名盤である。管弦楽におけるストラビンスキーの「ハルサイ」並の衝撃度がこの盤にはあった。それにしてもいかにsoloの又合唱の伸び伸びとしていることか。プリミティブな、人類の原点が露わにされないような演奏はこの曲にはふさわしくないであろう。その意味に於いてオケは当然であるが、この曲では合唱が生命線である。
小沢征爾、BPO&晋友会c PHILIPS 身びいきと言われるかも知れないが、これは晋友会のメンバーの一員として私も関わっている盤である。但し私は仕事の都合上ここに参加することが出来なかった。かえすがえすも残念である。小沢とBPOのジルベスタコンサートのライブである。上の項で述べたとおりこの曲では合唱が命である。ドイツの翌日の新聞批評で圧倒的に評価されたのも合唱並びに合唱指揮者の関屋晋であった。


271. シューベルト 歌曲集
ディースカウ(Br)、ムーア(p) DG この場合、全集と考えてもらっても、選集と考えてもらっても良い。いずれにしてもこのディースカウに匹敵するものは空前絶後であろうから。兎も角一人でこれだけの曲を歌い分け、録音するということ自体が神業のように思える。


272. シューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」D.795
ディースカウ(Br)、ムーア(p) EMI 若い頃のディースカウの水車小屋である。しなやかな感性がそのまましなやかな声となって響き、この恋物語を歌い、演じている。
プライ(Br)、ホカンソン(p)<71> PHILIPS この曲はやはりテノールでという人が多いかも知れない。しかし、「永遠の青年」ヘルマン・プライの素晴らしい響きを堪能できればそれはそれで又言うことはない。明るく生気に溢れた音楽がここにある。


273. シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」
ディースカウ(Br)、ムーア(p)<62> EMI 私はディースカウは若い頃の声の方が好きである。従って全集ではDGを入れたが個々の歌曲集ではEMI盤を採る。これも3種類あるディースカウの「白鳥の歌」のうち最も若い時のものである。この若さにしてこの円熟はどうだ。


274. シューベルト 歌曲集「冬の旅」
ディースカウ(Br)、ムーア(p) EMI ディースカウの「冬の旅」は聞くところによると7種類もあるという、その全てを聞いているわけではないので判らないが、いずれにせよ、この盤もまだまだ若い時の録音である。従って声の響きも良い。円熟味という点では多少物足りないかも知れない、が、しかし、作曲が死の前年の年であれ、これは紛うかたなき「青春の歌」なのである。


281. シューマン 詩人の恋Op.48
F=ディースカウ(Br)デムス(p)<65> DG ディースカウにはこの10年後のものやカーネギーホールのライブもあったりするが、私は最も若い時の録音であるこの盤が一番好きである。愛の喜び・失恋・回想。


282. シューマン リーダークライスOp.39
F=ディースカウ(Br)デムス(p)<65> DG リーダークライスは「詩人の恋」同様65年の録音である。後年のような深みはここには感じられないが、その分いかにも若い伸び伸びとした声を聞くことができる。イエルク・デムスのピアノも又良い。


170. R・シュトラウス 4つの最後の歌
シュヴァルツコップ、セル、ベルリン放送SO EMI R・シュトラウスの最晩年の傑作。歌唱・オーケストラともに優れた演奏というのはこの曲の場合は特に難しい。その中にあってこのシュヴァルツコップの盤は傑出している。


160. 武満徹 「明日は晴れかな、曇りかな」
関屋晋、晋友会合唱団 PHILIPS 合唱団の演奏会におけるアンコールピースとも言えそうな曲集ではあるが、武満である。なかなかそう簡単には歌うことができない曲ばかり並んでいる。耳には優しく、歌うに苦しい武満の合唱作品集は如何ですか?素晴らしい曲ばかりです。


161. 武満徹 「荒城の月・林光抒情曲集」
関屋晋、晋友会合唱団 PHILIPS こちらは日本の抒情歌集。林光の卓抜な編曲によって馴染みの曲が一層魅力を増すこととなった。先ずは最初の荒城の月から聴いて欲しい。実に素晴らしい合唱曲となっている。これ以上の合唱曲が書けるとは思えないほど完成している。しかしそれだけに、これらの曲も演奏するのは&感動してもらうのは至難の業である。棒の力は実に大きい。


175. ヴェルディ レクイエム
トスカニーニ、NBC、ネッリ、バルビエーリ、ステファノ、シェピ RCA これがレクイエム、宗教曲かと思わせる位のヴェルディの大傑作、オペラティック「レクイエム」。圧倒的なSOLISTにも不満はなく、卓抜なカンタービレとリズム感、パッションで聴くものを圧倒させる。まさにヴェルディのレクイエムとはこのようなものであった。
カラヤン、BPOフレー二、ルードヴィッヒ、コッスッタ、ギャウロフ DG トスカニーニのモノラル録音に不満な人はこちら。72年盤である。トスカニーニとは当然違うアプローチながら、こちらも良い。個性の強すぎるカラヤンの宗教曲はあまり推薦しない私ではあるが、これは殆どオペラなのでカラヤンが生きるということであろうか。壮麗と沈潜。