管弦楽曲
リヒター、ミュンヘンバッハO | ARHIV | 定番中の定番.。もっと明るいラテン的な表現とかこの管弦楽組曲には様々な表現が可能であろうが、何がバッハかということになるといろいろと考えさせてくれる。 |
リヒター、ミュンヘンバッハO | ARHIV | ニコレのフルートが最高に素晴らしい。リヒターとニコレということでスタイルもぴったりとあっている。 |
クルト・レーデル、ミュンヘン・プロアルテ室内管弦楽団 | fontana | 今となっては古く感じられるかも知れないが、何とも言えない味わいがある。古き良き時代。 |
リヒター、ミュンヘンバッハO | ARHIV | こちらも定番中の定番。バッハの管弦楽作品にイタリアの響きを求める人もいるかも知れないが、やはりこれが一番オーセンティックな演奏ということになろう。 |
ライナー、CSO | RCA | しかしライナーと言う人は完全主義者だった。これほどまでに完璧なオーケストラの演奏を聞かされるとグウの音も出なくなる。バルトーク、ハンガリーの音楽というのは、アジア系だけに日本人には直接的に響くのだろうか。若い内に聴いた方が良い。年を取ってくるともう聞く余裕が無くなってくるような気がしている。 |
ショルティ、CSO | DECCA | ショルティーもマジャール人。シカゴ交響楽団はライナー以来、弦チェレやオケコンなどバルトークのオーソリティなのだ。そのシカゴ響を自在に操るショルティの技も大したものである。日本の音楽批評家は従来、こうした職人に対して非常に冷たかった。実におかしな事だ。 |
レバイン、CSO | DG | これ又シカゴ響の演奏。最近は評判は今一だが、弦チェレよりもオケコン等は素晴らしい演奏だと思う。 |
ライナー、CSO | RCA | オケコンはまさにライナーがいなければ成立しない曲であったろう。クーゼヴィツキーにバルトークを推薦したのもライナーであったのだから。当時一世を風靡していたショスタコーヴィッチや世俗的なもの、大衆的なものに対する揶揄や批判も込められたこの曲をまさにその意図通りに、真面目に演奏しているのはこのライナー盤である。録音も非常に良い。 |
ショルティ、CSO | DECCA | クーゼヴィツキー・ボストン交響楽団による依嘱作品なのだが、名盤はシカゴ響に偏るというのもライナー。ショルティと続くハンガリー系指揮者のためだろう。ちょっと堅めのライナーの演奏に比してショルティは録音にも依るのだろうが、よりシンフォニック。実にゴージャスな響きである。このショルティが、シカゴ響がコダーイに依嘱した「オケコン」を残しておいてくれなかったというのはつくづく残念である。 |
クーベリック、RPO | EMI | ラファエル・クーベリックによる「オケコン」。マジャール系とは全く異なる音楽造りであり、これを初めて聞いた時にはこれが「オケコン」なのかと思えるくらいの目から鱗ものの演奏であった。非常に音楽的な音造りであり、ヴァイオリン、チェロ、木管、金管それぞれのパートの分離、語りが素晴らしく、互いが互いの音を楽しんでいるアンサンブルの極致である。 まだ聞かれてない人は是非一聴を。依嘱したボストン響とのものもあり、そちらの方が有名だが、こちらの方は未だ未聴。 |
レバイン、CSO | DG | 同じシカゴ響ではあるが。こちらはマジャール系ではないレバインのもの。もう若い世代にとっては、オケコンも、バルトークの心酔してたストラヴィンスキー同様、古典に入るのだろう。戦争とか、深刻さとかいったメッセージよりも純粋に音楽と対話している演奏である。何よりも弾けているのが良い。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O | EMI | 何度聴いても絶品と思わせる。クリュイタンスの品の良さと構成のみごとさだろうか。音も当時としては抜群に良い。ビゼーの旋律の美しさが実に胸に沁みる。 |
ポール・パレー、デトロイトSO | Mer | 最近、忘れかけられているが、実に骨太で男性的な演奏だ。アルルの陽光、プロバンスの明るさに満ちたすっきりとした演奏。フランスものはこうでなくちゃという感じだ。 |
シャルル・デュトワ、MSO | DECCA | やはりデュトワもここに入れておかなくてはいけないだろう。デュトワの特性はそのエレガント性にあるといって良いのだろうか。クリュイタンス品の良さの部分と共通する。でもクリュイタンスとは構成力がやはり違う。クリュイタンスはベートーベンも振るがデュトワはまずないだろう。でもその優しくカラフルなこと!! |
アンセルメ、スイスロマンドSO | DECCA | スイスの時計と評されたアンセルメの、全然土臭くない都会的な表現。しかし、バレーの神様アンセルメのニュアンスに富んだ表現はまさに絶妙である。東洋的な気分は少ないかも知れないが物語性は抜群である。 |
ロジェストヴェンスキー、パリO | EMI | この録音ももう古くなってしまったかも知れない。忘れられつつあるようにも思う。しかしパリ管を相手にロジェストヴェンスキーの棒はさえ渡る。民族色豊かに、色彩的な響きにも満ちて、実にノリに乗った演奏である。痛快。 |
カラヤン、BPO | DG | カラヤンまだ若かりし頃の颯爽とした演奏。BPOもまだ磨き上げられていないだけ音色が爽やかである。全集では無く選集である。8曲 |
ライナー、VPO | DECCA | ライナーがVPOと組んだ非常に味わいのあるハンガリー舞曲である。シュワルツコップが絶賛するJ・シュトラウスの名演もあったが、こちらも良い。全曲を聴きたかったが当時では無理か。7曲 |
ブリテン、LSO | DECCA | 「青少年のための管弦楽入門」はこの1枚あればもう充分であろう。作曲者による自作自演。ブリテンはハチャトリアンやR・シュトラウスと並んで自作自演のうまい人だった。パーセルの主題もフーガも充分納得のいく演奏である。教育者バーンスタインは、プレヴィンはどういう演奏をしているかなども非常に興味のあるところではある。 |
マルティノン、フランス国立放送O | EMI | ドビュッシーの管弦楽曲の選集・全集というのは意外に少ないんだということに、今回気付いた。中でもこの全集はお薦めである。総てを網羅している上に、演奏は滅法素晴らしい。マルティノンというのはアルチザンだ。毀誉褒貶の激しい人で余り席を落ち着かせる事の無かった人だが、ツボにはまると素晴らしい演奏をする。ウィーンフィルとの悲愴などがその典型だが。ここでもマルティノンの天才ぶりを遺憾なく発揮している。 |
マルティノン、フランス国立放送O | EMI | 一聴しただけでは何も感じない。派手さは無い空気のような存在だ。しかし聴くたび毎に味を増してくる演奏だ。透明感、COOL |
ミンシュ、BSO | RCA | 真っ先に聴いた牧神だったろうか、まだ若かった頃、その何か紗のかかったような演奏に「うーん印象派」とついぞ酩酊してしまったが、今聴くと結構構造的でもある。 |
デュトワ、MSO | DECCA | 昔マルティノンがいた席(NHK)に今はデュトワがいる、ここに2人並べるとなぜか不思議な気がする。あの頃のマルティノンはまだ若く日本に来ていて大人しかったのかなという印象。やがてマルティノンは先鋭的に、デュトワは豊麗になっていく。ここでもそんな印象である。 |
マルティノン、フランス国立放送O | EMI | ラヴェルはクリュイタンス、ドビュッシーはマルティノンというのが筆者の基本的なスタンスである。「牧神の午後への前奏曲」のところでも述べたが、クールな演奏である。大部な曲だけに「牧神」のようなとっつき易さはないが、オーケストレーションなど一度嵌ってしまうと、ラヴェルとは異なったそのニュアンスがたまらなくなる。 |
デュトワ、MSO | DECCA | デュトワはその柔らかさ、豊かさが堪らない。レパートリーから、よくアンセルメと比べられるが、アンセルメの堅さに比べてデュトワは柔らかさだろう。又、アンセルメの頃に比べて音・情報量はは格段に豊麗になっている。 |
パレー、デトロイトSO | Fontana | パレーはメリハリの非常にはっきりとした演奏を聴かせる人である。そうした点で「アルルの女」や「カルメン」組曲は実に清々しい名演であった。ドビュッシーはどうかと思って聴いてみるとこれも又素晴らしい。非常にパースペクティブに富んだ演奏となっている。骨太な点に加えて、恐らくこうした点が、彼の特質であろう。 |
マルティノン、フランス国立放送O | EMI | マルティノンは今となってはもう古くなってしまったかも知れないが、この演奏は今でもNO.1であるのではないかと思う。フランス国立放送Oを相手に実に精妙な味を聴かせる。今はブーレーズがいるが、明晰な演奏を聴かせる最初のものでもあったようにも思う。 |
デュトワ、MSO | DECCA | ごく自然に接することが出来、又、ごく自然に演奏していて何の作為も感じさせないデュトワの技量というのは実に大したモノだとつくづく感心させられてしまう。夜想曲とは演奏するにそうそう生やさしいものではないだろうと思うからだ。そういう意味においてはここに挙げている演奏総てが実に立派なものである。特に色彩感。リズム感か。 |
パレー、デトロイトSO | Fontana | パレーは、この中では最も古い録音。しかしやはり落とすわけにはいかないだろう。男性的な骨太の明快な演奏というものは最近あまり見られなくなってしまっただけに、パレーの存在意義は高い。 |
アンセルメ、スイスロマンドO | DECCA | アンセルメはやはりバレーの神様である。演奏を聴いていてバレーを髣髴させる演奏というものはありそうでいてあまりない。この楽しいお伽噺はやはりこんな風に演奏してもらいたいものである。LDで見たいと思うのは無い物ねだりであろうか。しかしCDを聴いて様々に想像した方がいいのかも知れない。 |
クーベリック、バイエルン放送SO | DG | クーベリック、バイエルンというのはその音に特徴があるように思える。非常に生命力に満ちた弾んだ音なのだ。音そのものが丸くプリンプリンしていると言ったら判ってもらえるだろうか。最近人気のマーラーを聴いてもそのことは言える。決して病的にはならない健康的な音色である。そのクーベリック、バイエルンのお国もの。これが悪かろうはずがない。特にこれといったことはしていない。実に自然である。そこのところが何とも言えず良い。 |
ドラティ、RPO | DECCA | 音の業師、職人ドラティの面目躍如たる演奏。ドボルザークのオーケストレーションを実に巧みにさばき、いつもながら実に生き生きと表現している。音色も素晴らしいが、そのリズム感は実に圧倒的だ。 |
ライナー、VPO | DECCA | ライナーのハンガリー舞曲とのカップリング。ドラティの先輩格。しかもVPO。味わいがあります。楽しめます。 |
ミュンシュ、BSO | RCA | 初めて聞いた「魔法使いの弟子」というだけでなく、非常にイマジネーションに富んだ、優れた演奏である。金管、特にトランペットの扱いなど、さすがミュンシュというか、速度感に満ちた演奏。聴いた後の爽やかさは格別である。 |
ジンマン、ロッテルダムPO | PHILIPS | これも面白かった。ジンマンとすれば今ほど有名なる前の、まだ若い頃の演奏。 |
デュトワ、MSO | DECCA | デュトワの演奏はどれもこれも皆、水準以上の演奏である。フランス音楽のCDを買うのであれば先ずデュトワを買っておけば安心である。瀟洒な演奏。でも、この曲の場合、ミュンシュの方がアピール度が強いか。 |
アンセルメ、スイスロマンドO、ベルガンサ | DECCA | バレーの神様、アンセルメによる演奏。アンセルメはこの曲の初演者でもあり、充分に熟知し、洗練された内容となっている。その後何人かによって録音されているが、これを超えるものは未だ出ていない。 |
アンセルメ、スイスロマンドO、ガバレーン | DECCA | 火祭りの踊りで名高いこの曲は、ジプシー音楽が巧みに取り入れられ、聞いていても非常に楽しい。バレーの神様アンセルメは又、ファリャのスペシャリストだ。各場面場面を髣髴させる演奏である。、 |
マゼール、クリーブランドO | DECCA | マゼールがクリーブランドを振っての真っ先に出した盤がこれであった。アメリカものとなるとバーンスタイン、プレヴィンというのが定番となり易く、マゼールは影が薄くなっているが、どうしてどうして、インスピレーションに満ちた素晴らしい演奏である。マゼールはマゼールなのだ。 |
マゼール、クリーブランドO | DECCA | ガーシュインの第2作目は彼自身のオーケストレーションによるもの。パリにおける非常に浮き浮きした気分が実に巧みに活写されている。マゼールも「ラプソディ・イン・ブルー」と同じくノリに乗っている演奏である。正に映画を見ている気分である。 |
ブロムシュテット、サンフランシスコSO | DECCA | 全23曲中の20曲が入り、ほぼ全曲といって良いだろう。「ペール・ギュント」は組曲で聞く人が多いのだろうが、やはり今では全曲で聞きたい。ブロムシュテットがサンフランシスコ響相手に実に良い録音を残してくれた。歌は勿論原語である。シンフォニックな上に「朝」や「山の魔王の宮殿にて」「「オーゼの死」等、各場面場面での表情付けが巧みである。 |
バルビローリ、ハレO | SERAPHIM | ブロムシュテットが出る前は、このバルビローリ盤が定番であったように思う。歌詞はドイツ語で曲目も12曲だけであるが、バルビローリらしく、「オーゼの死」を中心に実にしっとり聴かせてくれる。 |
ドラティ、デトロイトSO | DECCA | それまではフィードラー、BPSOの演奏を聴いていたのだが、この盤に接してまさに目から鱗であった。この曲がこんなに素晴らしかったのかと思わせるくらい、ドラマに充ちてい実に楽しいのである。職人ドラティはかように総ての曲を一変させる。名人である。バレーにおける数々の名人芸を見よ。 |
フィードラー、BPSO | RCA | ということでドラティを聞いた後では、評価は下がってしまうのであるが、これはこれで充分充実した演奏である。これまでずっと名盤と言われてきたものである。 |
ピノック、イングリッシュ・コンサートO | Arhiv | 非常に明るく楽しい演奏。ピリオド楽器の演奏にありがちなごつごつした所は皆無である。いつ、どんなときに聴いても心が和める演奏である。 |
コレギウム・アウレム合奏団 | BASF | ピリオド楽器の演奏の先駆けとも言うべきコレギウムアウレムの演奏。この盤が出たときは大評判になったものだった。録音も超優秀であった。今でもみずみずしい演奏を聴かせる。 |
ストコフスキー、RCAO | RCA | 筆者が一番最初に聞いた盤。恐らくはストコフスキーの編曲もあったと思われる。美しい演奏であった。 |
ピノック、イングリッシュ・コンサートO | ARHIV | 水上の音楽と全く同じ事が言える。曲自体がこちらの方が賑やかなだけに、ピノックのこの演奏は良い。 |
コレギウム・アウレム合奏団 | BASF | コレギウム・アウレムの第2弾がこの曲であった。指揮者を持たないアンサンブルとして、みずみずしい演奏でありながら、今では渋ささえ感じるのは時の流れなのだろうか。 |
ピノック、イングリッシュ・コンサートO | ARHIV | ピノック。イングリッシュコンサートでは一番の名盤とされているものである。購入はしたもののまだ1度くらいしか聴いてないのは何故だろう。水上の音楽は良く聴いているというのに。まだまだ聞き込みが足らず、耳に慣れていない為かもしれない。合奏協奏曲OP6の他に「アレクサンダーの饗宴」、2つの合奏体のための協奏曲2番、3番も含まれている。 |
パイヤール、パイヤール室内管、ラスキーヌ、ランパル | ERATO | こちらはト長調と変ロ長調の合奏協奏曲と「アレクサンダーの饗宴」それにハープ協奏曲、フルート協奏曲が含まれているといったご機嫌な1枚である。現代のようにピリオド楽器が出てくる前は、なかなか良い盤が無かったモノだが、この時期ERATOから出されるバロックの新盤は、皆どれもが欲しいモノばかりであった。 |
マリナー、ACO | PHILIPS | 今はもう忘れ去られているが、マリナー、ACOによる鮮烈な演奏である。録音も極めて優秀。 |
メータ、ロスアンジェルスPO | DECCA | こちらは創世記の頃の「惑星」といったら良いだろうか。これも名盤の誉れが高かったものであるが今では全く忘れ去られている。 |
アンチェル、CPO | supraphone | 所謂お国ものではあるがそれだけに、ゆとりがあり、自然で素朴な味わいがある。チェコフィルのソノリティも良い。 |
フィリッチャイ、BRSO | DG | 「ハーリー・ヤーノシュはやはり全曲を聞いて欲しいがそれだけの余裕のない人に先ず聴いてもらいたいのはフィリッチャイの演奏だ。フィリッチャイの人生掉尾を飾るstereo録音のハーリー・ヤーノシュ。エッセンスは総てこの中に含まれていると言っていい演奏。恩師に対する熱い想いもそのままに非常に共感に満ちた、マジャール魂に富んだ演奏になっている。 |
ケルテス、LSO | DECCA | マジャール魂はケルテスの演奏においても充分。特にサキソフォンの扱いなんぞはまさにこの曲を知り尽くしたものの表現である。 |
ケンペ、VPO | EMI | ケンペはハンガリー人ではない。純粋なドイツ人であるが、かれの造り出すハーリー・ヤーノシュは実に音楽に満ちている。まことケンペという人は音楽で総てを語る人であった。実に音楽的であると同時に、VPO相手に誠に楽しい演奏である。 |
オーマンディ フィラデルフィアO |
RCA | 小生が真っ先に聞いたハーリー・ヤーノシュの演奏がこの演奏であったが、その優れた演奏と録音は今でも衰えていない。オーマンディも又、ハンガリー出身である。ツインバロン始め、共感に満ちた豊潤で非常に楽しい演奏である。 |
フィレンチェク ハンガリー国立O |
HUNGARORTON | 録音からして地味な感じがするがその実、非常に深みのある優れた演奏である。その力はジングシュピール全曲盤において実証済み。ムラヴィンスキーのチャイコフスキーのような余力に溢れる演奏である。でも出来れば全曲盤を聞きたい。 |
デュトワ モントリオールSO |
DECCA | デュトワはデュトワらしいアプローチをしている。バレー音楽を扱う者にとってハーリー・ヤーノシュも又魅力的な演目なのだろう。なるほどそれはとても判る気がする。特に民族的とかいうことにはこだわらない音楽的な演奏である。 |
マズア、NPO | TELDEC | デュトワと同じ頃(1995年)出たマズアの演奏である。今のアメリカでのコダーイ受容を知るのに最も適当な演奏。管を中心に非常に抜けの良い演奏である。悪くない。いやいいぞ。 |
ラインスドルフ フィルハーモニアO |
SERAPHIM | ラインスドルフは何故か非常に評価が低い。特に日本においては殆ど評価されていないといっても良いくらいである。しかし、このフィルハーモニアとの演奏は正にスタンダードと言っていい演奏である。 |
トスカニーニ NBCSO |
RCA | トスカニーニは早くからコダーイに注目し、積極的に取り上げた人であったが、この盤はあまり良くない。というのも総てはこの録音に起因する。ハーリー・ヤーノシュは良い録音であればあるほど効果をはっきする。この盤はあまりにもデッドすぎる。トスカニーニの名演もぶち壊しのように思う。 |
メンゲルベルク、ACO | TELEFUNKEN | 「孔雀変奏曲」を委嘱したメンゲルベルク・コンセルトヘボウOとの実に初演のライブ盤である。歴史的価値も非常に高いレコードである。これは主観性を廃した非常に客観的な演奏となっている。尚かつロマンに満ちた演奏になっていることは言うまでもない。 |
ライナー、NYP | Arlecchino | ライナー1960年3月12日のニューヨーク・フィルとの録音。ライナーは恩師コダーイ・バルトークの演奏を早くから積極的に心掛けている。そして完璧主義者ライナーの実に見事な演奏だ。 |
ドラティ ハンガリーSO |
HUNGAROTON | 録音が悪いのが残念であるが、ドラティの祖国への共感に富んだニュアンスに富んだ演奏である。これ又ハンガリー、ブダペスト楽派の面目躍如たる演奏である。 |
デュトワ、モントリオールSO | DECCA | ハンガリー出身ではないが、録音が優れ、非常に音楽的で、洗練された演奏である。繰り返し聞くのに一番良いCDかも知れない。これ1枚で殆どのコダーイの管弦楽作品が揃うからだ。 |
フィリッチャイ、ベルリンリアスSO | DG | 1956年のMONO盤ではあるがフィリッチャイの熱い想いはそれを超えて伝わってくる。メッセージというものは、正にそうしたものであると思う。マジャール魂。 |
デュトワ・モントリオールSO | DECCA | STEREOで聴くならやはりこれが最高かも知れない。マジャール精神とはなんの関係もないが純音楽的な演奏で華麗である。 |
オルフェウス室内O | DG | 夏の夕べは心の中に浮かんだことを、ふと書き留めた音詩であるが、5音音階的なモティーフがハンガリー民謡を想起させ、エキゾティックである。又、まだワーグナーの影響も大きい中、室内楽的な楽器編成も大変魅力的である。演奏は選べるほど沢山あるわけではないが、充分に魅力的な演奏である。 |
フルトヴェングラー、VPO | EMI | 交響詩の創始者リストの「前奏曲」。若い頃聴いていると良いのだが、なぜか段々恥ずかしくなってきてしまう。恐らくは交響詩にかける想いがそのまま理想主義へと結実しているためであろう。R・シュトラウスにはもはやそれはない。さて、この曲の理想主義を文字通りそのままに演奏できるのはやはりフルトヴェングラーをおいて他には無いであろう。あまり何回も聞ける演奏ではないとは思うが。 |
カラヤン、BPO<83> | DG | 録音の新しいもので聞くということであれば、やはりカラヤンBPOということになろうか。メッセージ性が高い曲なので出来るだけ音楽的に美しい方が良いように思える。 |
プレヴィン、VPO | PHILIPS | いかにもプレヴィンらしい演奏。「真夏の夜の夢」はやはり音色はクリアーに尚かつ夢幻的に演奏してもらいたい。そんなこちらの我が儘な要望を全く見事に叶えてくれているのが、この演奏だ。こういう曲を振らせたら、やはりプレヴィンの独壇場だ。音色豊か、洒脱。抜群のセンスである。VPOなのも最高だ。 |
プレヴィン、LSO | EMI | プレヴィンのロンドン響とのこの全曲盤はなぜ廃盤になってしまっているのだろう。VPOの方が確かに録音は新しいが、本家英語版によるこの全曲盤も捨てがたい。 |
モントー、ロンドン交響楽団 | DECCA | モントーの「真夏の夜の夢」はいかにもモントーらしく気品がある。何も加えず何も引かず、全く純正の・・・・といった味わい。じっくりと聴いているとその分だけ、モントーの良さ、この曲の良さをたんまり味わえる。モントーは実に偉大だ。 |
クレンペラー、フィルハーモニア | EMI | 昔、クレンペラーといえば「真夏の夜の夢」「真夏の夜の夢」といえばクレンペラーといわれていた時代があった。これは実にロマンチックな演奏である。暗さの中にほんのり見えてくるといった類の。妖精は確かにこんな所に現れてくるのかも知れない。 |
ミュンヒンガー、VPO | DECCA | ミュンヒンガーがVPOと組んで非常に良い「ロザムンデ」の録音を残してくれたのは我々にとって幸運な事であった。ミュンヒンガーがあの硬質のドイツ的な「四季」を録音した頃と比べると隔世の感がある。VPOだけに音色も非常に柔らかくシューベルトが理想的に響いている。青い海に白い建物のジャケットと併せて心に残る名盤である。 |
モントウー、VPO | DECCA | 古い録音ではあるが、ここでもモントウーは生きている。構成力がしっかりとしているために、モントウーはどちらかというと堅めに響くが、アンサンブルは抜群である。噛みしめるほど味の出る通向きの演奏と言えよう。 |
ボスコフスキー、ウィーン・モーツアルト合奏団 | DECCA | ウィーンの首席奏者達による演奏だから、これが悪かろう筈がないが、中でもキュッヒルのヴァイオリンソロがやはり素晴らしい。絹の柔らかさである。 |
イムジチ合奏団 | PHILIPS | ディベルティメントでも美しさを見せてくれたイ・ムジチだが、この小曲においてもその力をいかんなく発揮してくれている。 |
コープマン、アムステルダム・バロックO | ERATO | コープマンは実演を見ていると実にその演奏する楽しさが見て取れる。そんなものがCDを通しても聴き取れる誠に生き生きとした演奏である。 |
コープマン、アムステルダムバロックO | ERATO | ザルツブルグの名門ハフナー家の婚礼前夜の祝いのための音楽。そうした雰囲気が共にレコーディングされた行進曲と共にまさに同時性をもって演奏され、我々も又、あたかもその祝宴に参列しているかのようである。 |
ベーム、BPO管楽Ens | DG | 俗称「13管楽器のための」セレナード、管楽器の扱いが実に巧みなモーツアルトの才能があちこちに見られる曲をこれ又、ベームのがっちりした棒の元、機能的なBPOの管楽メンバー達で歌う。モダーンではありながらも味わいのある演奏である。 |
ワルター、CSO | SONY | もう聴かれすぎたかと言われるような定番ではあるが、モーツアルトにおいては基本中の基本であるワルター。これを外すわけにはいかないだろう。 |
ボスコフスキー、ウィーン・モーツアルト合奏団 | DECCA | 指揮者と言うよりはやはり内輪の仲間でのアンサンブルといった趣だが、そうした小粋な分が非常に出ている演奏である。洒落ている。 |
ライナー、CSO | RCA | ライナーの贅肉を削ぎ落とした筋肉質の演奏はそれだけに又、清潔、気品があって美しい。 |
イムジチ合奏団 | PHILIPS | この有名なディヴェルティメントをイムジチが、例によって非常に伸びやかに明るく演奏している。こうした機会音楽はやはりイタリアの風土が最もよく似合うのかも知れない。明るければ明るいほど悲しくなってくるのがモーツアルトだ。 |
クレーメル、カシュカシアン、ヨーヨーマ、フィリップス | SONY | 現代の名人達が集まって何気なく話をして帰っていく。特に何かを飾り立てるとか、特に何処かのパートが突出したりするということもなく、話は進んでいく。ギャランティな演奏である。 |
アカデミー室内Ens | PHILIPS | 滑らか柔らかで、愉悦に富んだ演奏といえようか。有名な3楽章メヌエットも実に楽しい。 |
トスカニーニ、NBC | RCA | 音とは何なのか、音楽とは何なのかを判らせてくれる1枚です。モノラルとかは全く関係なし。先ずはここから |
ライナー、CSO | RCA | これぞロシア、これぞムソルグスキー。暗いけれど素晴らしい響き。ライナーの面目躍如たる演奏です。 |
アンセルメ、SRO | DECCA | ここら辺からがいわゆる定番?。ラベル編曲の素晴らしさを味わえる1枚。カラフルになってきます。 |
デュトワ、MSO | DECCA | アンセルメの現代版。録音も最も新しい。新鮮にして豪華絢爛。 |
フェドセーエフ、MRSO | メロディア | これは表現的です。一つ一つの情景が目に浮かんでくる。絵を一枚一枚楽しめます。泥臭いです。ロシアです。 |
ストコフスキー、NPO | DECCA | これはやはり挙げておかないと。当然ラベル編ではなくてストコフスキー編です。 ストコ節を楽しみましょう。 |
富田勲 | RCA | 当然富田編シンセサイザー。展覧会の絵は、こんな風に様々な聴き方をして楽しめばいいと思います。 |
ライナー、CSO | RCA | これほどスピード感とダイナミズムに溢れた演奏というものは滅多に無いだろう。筆者が真っ先に聴いた演奏なので刷り込みが出来ていると言えないこともないが、まさに魔物の饗宴。モダーンでスリリングでもある。未聴の人には是非聞いてもらいたい演奏である。快哉。 |
デュトワ、MSO | DECCA | 非常にエレガントで音楽的な表現である。この曲にデモーニッシュなものを求める人には物足りないかも。 |
アンセルメ、SRO | DECCA | アンセルメらしいかっちりとしたリズミカルな演奏。リムスキー・コルサコフの編曲を楽しむにはうってつけの演奏のように思える。 |
ロストロポービッチ、パリ管<76,77> | EMI | ロジェストベンスキーよりは熱のこもった演奏ではあったが、これまた割と普通の演奏であった。パリ管の特色がもっと出ていても良いような気がしたが。 |
ロジェストヴェンスキー、パリ管<72> | EMI | 暫く聴いてなく、ロジェストヴェンスキーということで期待を持って聴いたのだが、割と普通の演奏であった。ちょっとテンポがゆっくりしすぎという感じがした。 |
オーマンディ、フィラデルフィアO | RCA | ストーリー・テーラーのオーマンディではあるが、ライナーを聴いた後ではやはりもの足らなく感じてしまう。録音は今でも古くなってはいない。 |
ベーム、VPO | DECCA | ギンゴールドの語りのものもあるが、こちらはベームの息子の語り。何となく固い気がしないでもないが、お爺ちゃんが孫に語りかけるような雰囲気がしないでもない。「動物の謝肉祭」とのカップリングも良い。 |
クルツ、フィルハーモニア | SERAPHIM | これは昔からある盤。フィルハーモニアを相手にクルツが自由闊達な演奏をしている。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O | EMI | 個々の曲においては、様々な選択も考えられるのだろうけれど管弦楽曲集としてまとめた場合、このクリュイタンスを除いて他には考えられないような気がする。それほどどの曲においても非常に高度な品位の高い演奏をしている。クリュイタンスに関しては、やはり別のコーナーをもうけたいほどである。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O | ALTUS | 1964年の東京ライヴである。残念ながら、モノラルであるが、それをも上回る実に絶妙な演奏を聴かせる。当時、このコンビは世界最高峰の実力を示していた。この素晴らしい音色。これを生で聴いた人の興奮はいかばかりであったろう。実に記念碑的な演奏である。このライヴのCD化に感謝。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O | EMI | ソロの名人芸を聞いているだけでも楽しいボレロである。パリ音楽院=クリュイタンスは爛熟の時代にあったと言える。最高のボレロ |
アンセルメ、スイスロマンドO | DECCA | 数学の先生だったアンセルメのスイスの時計を思わせるようなボレロというのが的確だろうか。勿論洒脱である。 |
ブーレーズ、NPO | SONY | ここに真っ先に揚げたのはブーレーズによって目の覚めるような思いをさせられたからだ。まあ、当時のブーレーズは1曲毎にそうであったのだけれど。実に緻密にクールにラヴェルのこの曲を分析している。シューベルトなんか大嫌いだったラヴェル。フランスの作曲家の伝統なのかも知れない。ブーレーズはバレー音楽の天才だろうか。 |
クリュイタンス、パリ音楽院 | EMI | ミンシュからラヴェルに入った筆者にとって録音のせいかまだなんとなく霞がかかっているようなダフニスから、この盤に接したときの驚きは正に驚天動地だった。ヨーロッパ(ラテン)文学の代表でもあるロンゴスの「ダフニスとクロエ」はやはりこのように明快に演奏されなければならなかった。抜けるような青い空を突き抜けていくフルートの響き。 |
デュトワ、モントリオールSO | DECCA | デュトワはここでも美しい。ミンシュでも無ければ、アンセルメとも違う。ブーレーズでもないし、クリュイタンスでもない。エレガントで豊潤なデュトワとは何なのか、良く考えてみる必要があるような気がする。 |
ミュンシュ、ボストンSO | RCA | 初めて聞いた全曲盤がミュンシュであったが、リヴィング・ステレオにしてはあまり音が良くなく、ラヴェルではもっと明晰さが欲しいと感じたものだった。しかし、演奏自体は素晴らしい。いかにもミュンシュらしく構造的、構築的でかっちりとした演奏である。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O<61> | EMI | もうラヴェルに関しては、総てクリュイタンスで足りてしまいあとはもういらないという感覚なのであるが、この「スペイン狂詩曲」にしても同様である。「夜への前奏曲」「マラゲーニャ」「ハバネラ」「祭り」といった4曲をいったいクリュイタンス以外のどのような演奏が可能なのであろうか。まがい物はあり得ても、この感覚、指揮者、オケともにまねできるものではない。 |
クリュイタンス、パリ音楽院<64東京Live> | Altus | 緻密さに関してはスタジオ録音に譲るが、ライブ独特の雰囲気がある。又、パリ管の優秀さはライブでも充分に判る。モノラルでも充分満足できるが、ステレオであったらと無い物ねだりをしてしまう。 |
アンセルメ、SRO | LONDON | 初めてこの曲を聴いたのはこのアンセルメ。アンセルメがDECCAの優秀録音の看板であった頃のことである。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O | EMI | この曲はいつ聞いても楽しい。それほどのニュアンスとエスプリに富んでいる。実に瀟洒な曲を実に洒脱に演奏できるのはやはりクリュイタンスとパリ音楽院を除いては考えられない。しかし、フランス人というのは全く大人です。 |
クリュイタンス、パリ音楽院<64東京Live> | Altus | パリ音楽院のソロを聴くだけでもう充分。しかし、この頃のパリ音楽院というのは世界に冠たる唯一無比の最高のオーケストラでした。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O<61> | EMI | 私の作るワルツはこんなもんです、と提示したのがこの曲、脳天気なウィンナ・ワルツとは全く異なって哲学的、形而上学風である。少なくとも舞踏会でみんなが楽しんで踊るワルツでは無いだろう。冒頭の霞がかかったところから次第にワルツへと確立されて行き、最後には頽れる。フランス人のエスプリならではであろう。クリュイタンスのセンスが光る。 |
クリュイタンス、パリ音楽院<64東京Live> | Altus | モノラルながら聞こえてくる演奏ははステレオを上回る。「ラ・ヴァルス」そのものが時間と共に発展する音楽だけにスタジオ録音よりもライヴの方が楽しめるだろう。そうした雰囲気が如実に伝わってくる盤である。 |
アンセルメ、SRO<63> | LONDON | 発売当初、実にカラフルに感じたものだが、今、改めて聞き直してみると、実にかっちりとした明確な音楽造りである。録音も古くなってきてはいるがまだまだ現役といって良いだろう。 |
クリュイタンス、パリ音楽院O<62> | EMI | この曲の題名を聞くと同時にプラド美術館所蔵のベラスケスの「マルガリータ王女」が思い出される。もう殆どセットで。特にジャケットで用いられていたという訳でもないのだが。母親がスペイン人だったというラヴェルの頭の中にイメージされる王女というのは存外「マルガリータ王女」かも知れぬ。 |
クリュイタンス、パリ音楽院<64東京Live> | Altus | ここでもソロが特筆ものであろう。パリ音楽院の個々の成員の、そしてそれを統合するクリュイタンスの至芸を生で聴くことが出来た人は実に幸いである。ここで聴いているだけでもため息が出てくるのだから。 |
アンセルメ、SRO<61> | LONDON | スイスロマンド管の魅力の一つに木管楽器奏者の素晴らしさが挙げられるであろう。勿論、パリ音楽院当等と比べると個々の実力は劣ってしまうのだろうけれど、全体的にそれを感じさせないのはアンセルメの名人芸なのであろうか。 |
トスカニーニ、NBCSO<49-53> | RCA | 未だにこれを凌駕する演奏が出て来ないというのは実に恐るべきことである。「噴水」一つとって、モノラルながら聴いていてもモノラルであることを感じさせないばかりか、ステレオ以上の音質である。この1枚を聴けば、後はもう他のものは聴く気がしなくなることは必定。録音を越える演奏とはまさにこのことである。 |
デュトワ、MSO | DECCA | 典雅なローマ3部作はこれ。デッサン力が素晴らしく、色づけも又実に鮮やかである。それでいて下品さは微塵も感じられない。イタリアの陽光、地中海の魅力を感じさせる1枚。 |
オーマンディ、フィラデルフィアO<73,74> | RCA | 録音は古くなってしまったが、オーマンディのこうした分野における才能は実に見事だと感じさせる1枚。祭りは除く。 |
カラヤン、PO | SERAPHIM | これは松のみであるが、カラヤンのフィールハーモニア時代における充実度を感じさせる演奏。悠久のローマの歴史さえ感じさせてくれる演奏である。 |
ライナー、CSO | RCA | ライナーの偉大さは、バルトークやR・シュトラウスだけにはとどまらない。「展覧会の絵」や「シェエラザード」「胡桃割り人形」などのロシアものにおいても素晴らしい演奏を聴かせている。ここにおける「噴水」や「松」も然り。レスピーギのオーケストレーションの素晴らしさを味わうには最適であろうか。筋肉質でありながらも濃厚な味わいがある。 |
マリナー、アカデミー室内管O | EMI | この曲のCDは意外に少ない。しかしローマ三部作とは異なったレスピーギを知りたい人には格好の1枚である。5曲の小曲の1曲毎に鳥に関する標題や旋律が与えられ、元々はクラブサンの曲を、巧みな管弦楽法を用いて佳作としている。 |
デュトワ、モントリオールSO | DECCA | オリジナルのロシアで聞くのか、色彩のフランスかなんて考えているうちにデュトワに来てしまった。こうした曲は様々な選択が可能なように思える。かといって何枚か買って聞くという程でもないような気もする。難しい選択である。 |
アンセルメ、スイスロマンドO | DECCA | デュトワの先輩と言ったところで、やはり同系の演奏。色彩感をたっぷりとって何度聴くにも堪えられる。 |
スベトラノフ、ソビエト国立SO | メロディア輸入盤 | これこそ正真正銘のロシア産の「シェーラザード」ではあるまいか。終楽章の速さ、演奏の素晴らしさなど並大抵のものではない。上記2点とは全く異なったアプローチで面白い。残念ながらこのLPすり減ってきてしまっている。CDもなかなか再発されそうにない。 |
デュトワ、MSO<83> | DECCA | 豪華・華麗・エキゾチシズム溢れたこの曲をデュトワは実に豊麗な響きで演奏をし、実にご機嫌な1枚となっている。何度聞いても飽きることがない。 |
ロストロポーヴィッチ、パリO<76,77> | EMI | 「禿げ山の一夜」では割と普通の演奏であったが、この「スペイン奇想曲」はこの1枚の最高の演奏となっていて、素晴らしい。ロシアとパリ管の素晴らしい組み合わせといって良いだろう。デュトワよりも泥臭さがあって、こちらの方を好む人もいるであろう。 |
バルビローリ、ハレ管O | Cocert Hall | 筆者が一番初めに聴いた演奏であるが、非常にニュアンスに富んだ演奏である。ステレオではあるが録音がいまいちであるのが非常に惜しまれる。 |
トスカニーニ、NBCso<45,50,51,53> | RCA | この中のどの1曲でもいいから針を置いてみると(古い表現)もうそこは、即座にトスカニーニの世界。ロッシーニ・クレシェンドというのは実に難しいはずである。しかしそのようなことは微塵も感じさせず、実に良く歌っているのはさすがと言うべきか。ともすればトスカニーニは剛直と言うイメージを持ちがちであるが、トスカニーニのもう一つの一面Canto、Canto「歌え、歌え」、カンタービレを如実に感じるはずである。この盤に勝るものはないであろう。 |
カラヤン、BPO | DG | BPOであるのでイタリアと言うよりは分厚いシンフォニックな響き。豪華・絢爛・華麗なロッシーニである。 |
カラヤン、PO | SERAPHIM | カラヤンがフィルハーモニアを振っての未だ若い頃の颯爽とした名演。私はこちらの方が好きである。 |
アルゲリッチ、クレーメル、マイスキー他 | PHILIPS | 今までに全くなかった演奏スタイルの上に、まさに「動物の謝肉祭」はかくあるべしとといった演奏。フル・オーケストラは必要なかったのだ。アルゲリッチを中心とするサロン的な雰囲気の中に各人がエスプリに富んだ名人芸を繰り広げる。まさにサン・サーンスの叡智そのものが実に見事にいかされ、脱帽ものである。ちょっとこれ以上のものはなく、おそらくは今後はこうした方向に進んでいくのであろう。 |
ベーム、VPO | DG | 指揮カール・ベーム、ナレーションは息子のカールハインツ・ベームというものであるが、発売当初は話題になったが、今となっては少々堅い感じも否めない。ここではウィーンフィルのメンバーの名人芸、音色をを楽しむということだろうか。尚、日本版ではない英語版は名女優ギンゴールドが担当している。 |
ブーレーズ、NPO | SONY | オリジナルは弦楽6重奏でそれによる演奏も多いが、ここではフランスを代表する現代音楽の旗手であると同時に非常に優れた指揮者でもあるブーレーズ、ニューヨークフィルの演奏を。後期ロマン派終焉様式で書かれたこの曲、もっと濃厚な演奏もあると思われるが、ブーレーズの明晰な演奏が現代からの逆照射となっていて、楽曲をくっきりと浮かび上がらせる。 |
ホルストシュタイン、OSR | DECCA | モントーのシベリウス2番と一緒に入っていたものだが、これがなかなか良い。すっかり気に入ってしまった。 |
カラヤン、PO | EMI | こちらもシベリウス2番とのカップリングもの。こういった小品になるとカラヤンも良いなと思ってしまうから不思議である。 |
ノイマン、チェコPO<75> | SUPRAPHON | 本場物ではターリッヒもアンチェルも録音があるが、録音・演奏ともに優れているのはこのノイマン盤である。連作交響詩の1曲1曲が息づいている。 |
クーベリック、BSO<71> | DG | これがボストンではなくチェコPOだったらと思うのは無い物ねだりであろう。90年の帰国演奏のライブはその日1日のためのもののように思えるからだ。 |
ボスコフスキーVPO<57-79> | DECCA | 全集で全部揃える必要はよっぽどのマニアでも無い限り必要は無いであろう。名曲のワルツだったら2枚、ポルカだったら1枚で収まりそうだ。このシリーズは嬉しいことに音色も抜群に良い。後は毎年のニューイヤー・コンサートを楽しむということだろうか。 |
C・クラウス、VPO<51-53> | LONDON | 最初非常に有名であるこの盤を聞いていてもモノラルでもあるし、全然楽しむことができなかった。で、クラウスはつまらないという烙印を押してしまうところだったが、そのクレメンス・クラウス指揮するところのニュウイヤー・ライブ・コンサートを聴いて実に唖然呆然としてしまった。それ以後この盤も再度見直す事と相成った。 |
C・クラウス、VPO<54> | LONDON | 上記1954年1月1日のニューイヤー・コンサート・ライヴである。いやあ、スタジオ録音というものはだめですなあ。こういう曲だけにライブに限りますと思わせる凄い熱気。今のニューイヤー・コンサートには無いものでもある。 |
ベーム、VPO、ヘッツエル(vn) | DG | R・シュトラウスのしかも「英雄の生涯」ということになると、何か後期ロマン派の自我狂の権化のような気がして、聞かぬうちから気持ちが萎えてしまうのであるが、(ましてやカラヤンということになるならコテコテで最高であろうとは思う。)しかし、それでも尚、管弦楽作品・オーケストレーションの名手R・シュトラウスを聞きたいとなるとベームという事になろう。本当はケンペを挙げたいところなのだが、残念ながら、まだ未聴につき、挙げることが出来ない。実に見事である。疲れることもない。 |
ライナー、CSO、ウェイチャー(vn) | RCA | 完璧主義者ライナーはどのように「英雄の生涯」を演じるか。ライナーも自らを演じそうな気もするが、そのような様子は全くない。マジャール系の指揮者には、誰であれおよそそういうところは見られないのでは無いだろうか。カラヤンのみ推薦盤に何種類も挙げられて、ライナーが(ケンペも)殆ど省みられていないというのは、R・シュトラウスに対して失礼であると感じるのは私だけだろうか。 |
ショルティ、CSO、メイガード(vn) | DECCA | ショルティの演奏を派手だとか、外面的だとか評するものがいるが納得できない。およそここに聴かれる音の一つ一つがそうしたものとは無縁なものである。メイガードのヴァイオリンの艶やかなこと、このワルツが一体CSOのものかと思われるくらい、ウィーン的な味わいである。vnのみだけでなく木管も又金管もシカゴの優秀なオケ全開の演奏である。 |
ライナー、CSO、ウェイチャー(vn) | RCA | ライナーのツアラトウストラは2種類ある。こちらは「英雄の生涯」とカップリング。1954年3月8日録音のもの。基本的な解釈は変わらない。こちらは配置が古典的配置で、低弦が左から聞こえてくる。ホールで聞くような自然な音場感が重視されている。同じライナーの演奏を2種類の録音で楽しめるというのも良い。 |
ライナー、CSO | RCA | こちらの方は「ドンファン」とのカップリングで1962年4月30日、5月1日録音のもの。いわゆるリビング・ステレオ・シリーズ。ライナーが2度録音を行ったのはこの盤の「ツアラトウストラ」と「ドンファン」のみで、RCA側の、録音技術の高さを示すデモンストレーションとしての強い要望に添ったものとの事だ。こちらの配置は一般的な「ストコフスキー・シフト」であり、マルチトラックで「科学について」などスコアが透けて見える程、鮮やかな音である。 |
カラヤン、BPO、ブランディス(vn) | DG | カラヤンのツアラトウストラというと通例この盤が挙げられるようだ。正に豪華絢爛、ゴージャスな音の響きであり、いうことが無い。R・シュトラウスはこうなのだ。ツアラトウストラはこうなんですよ、と言われれば正にその通り。一つの極であるとは思う。さすがカラヤンは巧い。聞かせます。 |
カラヤン、VPO | DECCA | ツアラトウストラに最初に触れたのがこの盤という人が結構多いのではないかと思われる。後のBPOとのシンフォニックな分厚い響きとは異なって実に直裁、VPOということもあってカラヤンの言いたいことが実によく分かる演奏となっている。 |
マゼール、フィルハーモニアO | SERAPHIM | まだマゼールの若い頃の録音。完全にマゼールのカラーが出ているとは言えないが、そこここに感じることは出来る。 |
フルトヴェングラー、VPO | EMI | ティルが生命をもっているというのは変な表現だが、何故かティルはペトルーシカのような人形を思い起こさせる。実在しない人形の起こす波瀾万丈の物語といった風なのだ。その人形、実は人間なのだが、が実に全くもって生きているのがこのフルトヴェングラーの演奏であろう。絞首刑にかけられるこのティルは本当に可哀想だ。 |
ショルティ、CSO | DECCA | 完璧なオーケストラ、シカゴ交響楽団を振ってのショルティのティルはシンフォニックな中にも、バレエを見るような表情付けがあって、一つ一つの音が生きていて無駄な音は一切無い。有機的な音造りはぽんぽん弾み、切れば血の出るような演奏である。 |
ライナー、CSO | RCA | R・シュトラウスと親交のあったライナーの演奏は、その完璧の上に共感が加えられ、コク円熟味のある演奏となっている。ライナーを聴くとその必然性に納得させられしまうから不思議である。 |
セル、クリーブランドO | SONY | セル・クリーブランド管の生演奏というものを是非聴いておきたかった。SONYの録音故か、その硬い表情から以前はそれ程好まれなかった。しかし録音によって残されている音の一つ一つは、正にその室内学的アンサンブルからして実に見事なものである。これほどの彫琢というものは滅多になされるものではないであろう。そのティルも勿論いうことなしの完璧なもの。 |
マゼール、フィルハーモニアO | SERAPHIM | 60年代のマゼールを素晴らしさを感じさせる逸品。才気煥発。音の一つ一つにマゼールの天才のひらめきがあり、これほどのティルというのもちょっとないのではないかと思わせる。通常のティルに飽き足らなくなった人は是非、一聴を勧める。目から鱗もののティルである。 |
フルトヴェングラー、VPO | EMI | R・シュトラウスの「ドンファン」であれモーツアルトの「ドンジョバンニ」であれ、フルトヴェングラーである。この偉大な好色漢を非常に高いレヴェルで描きあげたのが(音楽がこうした矛盾した表現を可能にしてくれる。)フルトヴェングラーであり、後期ロマン派の爛熟のまさに頂点の演奏である思う。恐らくは今後はこのような演奏は不可能なように思える。 |
ショルティ、CSO | DECCA | R・シュトラウスというのはなかなか難しい作曲家ではないかと最近感ずるようになった。オーケストラの編成は大きく管弦楽法に優れているため、鳴らそうと思えばいくらでも鳴らすことができる。それで充分に満足できたし、満足してきたが、ちょっと空疎な気がしないでもない。ショルティの音はシカゴを使って充分鳴らしてはいるが、空疎ではない。内燃している塊の音だ。その分、張力があり、想像力に富んだ演奏となっている。 |
ライナー、CSO | RCA | 直截なライナーの音は、又、色彩感にも富んでいる。理想主義的な情熱と陰影豊かな表情。その分、すっきりした表現である。 |
カラヤン、BPO | DG | これ又、ゴージャス、最高の名演である。以前は反感を持つことが多かったが、改めて聴くとこれほど巧みに音にすることができるとは、やはりカラヤンは偉大であると思わずにはいられない。確かにカラヤンはR・シュトラウスと相性が良いのだろう。 |
フルトヴェングラー、VPO | EMI | リストの理想主義的な交響詩とは異なり、何でも音楽にしてしまうR・シュトラウスは死にいく状態まで音楽にしてしまう。なかなか馴染みにくいこの曲ではあるが、ドン・ジョバンニのフルトヴェングラーにしてみれば、恰好ののテーマであったかもしれない。日々起こりうる日常的なテーマを抽象的なドラマへと止揚できたのは彼だけであるかも知れない。 |
セル、クリーブランドO | SONY | 室内学的な緻密なアンサンブルによる純音楽的な「死と変容」。まさに純化されている「死と変容」だ。 |
カラヤン、フルニエ、BPO | DG | カラヤンのシンフォニック且つゴージャスな世界とフルニエの持つ典雅な世界の組み合わせはまさに「ドン・キホーテ」の騎士道精神に相応しい。もっと聴かれても良い曲であり。もっと聴かれても良い演奏である。 |
カラヤン、BPO<69> | DG | 収められているのは6曲だけであるがこれで充分堪能できる。というか充分すぎるほどであり、これ以上の何もいらない。これらの曲は昔は17cmLPに収められ、何処の誰だかなんとも判らないオーケストラによって演奏され導かれるということが多かったものだ。それがペレルア指揮のバンベルク交響楽団だったりするのだが、そんなことは当時は知らない。 |
ブーレーズ、CSO | DG | 1910年初演版を初めて演奏したものはNPOとだったが、こちらはCSOということもあり更に豪華絢爛。現代作曲家ブーレーズならではといった趣がある。 |
ブーレーズ、NYP | SONY | 初めて聞いてびっくりした。今まで聞いてきた組曲版「火の鳥」とは全然違ったからだ。作曲家は作曲家の目でということだろうか。4管編成でというのも並大抵ではないだろう。初演版を見事に甦らせた。響きもシャープで良い。 |
アンセルメ、NPO | DECCA | こちらも全曲版。なのにその印象が無いというのはどういうことだろうか。ひょっとしたら録音したのはこちらの方がブーレーズより古いのに、購入したのが後だったからかも知れない。よく又、聴き比べないと。それはともかく、アンセルメはストラビンスキーの親友でもあり、ディアギレフとも行動を共にした人。モントウとともに、もはや歴史上の人物と言ってもいい。では古ぼけているのかと言えばとんでもない。今でも生き生きとした新鮮そのものの演奏だ。 |
デイビス、ACO | PHILIPS | イギリス人指揮者というものにも注目していい。アムステルダム・コンセルトヘボウをオケに得てこれまた重厚にして華麗。きっちりとした演奏をしている。デイビスのストラビンスキーの中ではこれが一番と世評も高い。これを聴いていてデイビスのペトルーシュカも欲しくなった。 |
デュトワ、MSO | DECCA | アンセルメを引き継ぐデュトワと見られているが、決定的な違いはそのリズム感にあるのではないか。アンセルメの方がリズムに厳しい、というかバレーと共にある。デュトワはもっとしなやか・柔軟で表現が難しいが、バレー的というよりはより音楽的、絵画的。でも必要にして充分である。 |
ドラティ、デトロイト響 | DECCA | これも未聴なのですが、「ハルサイ」「ペトルーシュカ」を推薦した身としては挙げない訳にはいきません。筆者も今後是非聴きたい1枚として。 |
ドラティ、デトロイト響 | DECCA | バレーの雰囲気を十二分に楽しませてくれます。録音も良くしなやかでみずみずしい。何かもの悲しい見せ物小屋の雰囲気もたっぷり。さすがドラティ。1947年版であることが残念。1911年版を聞いてみたいものです。 |
ブーレーズ、NYP | SONY | ブーレーズの71年の録音。作曲家ブーレーズの面目躍如。クールな視点から見たペトルーシュカ。1911年版のペトルーシュカを初めて聞かせてくれたのもこの演奏だったように思います。91年のクリーブランドはもっといいかも知れませんが、残念ながら未聴にしてコメントできず。専門家でもないのでいくら好きだとはいえ、そんなに買うことは出来ないのです。 |
ブーレーズ、クリーブランド管 | SONY | ブーレーズ、クリーブランド管の録音、2つあるうちの最初のもの。1969年の録音。鮮烈なバーバリズム。血湧き肉踊る中にも刀がナイフが光ります。当時青年だった私に強烈なインパクトを与えてくれました。 |
ブーレーズ、クリーブランド管 | DG | 1991年の録音。余すところのない演奏で、一般的にはこちらの方が評価が高いのですが、どうも私には「若かったあの頃・・・」の方が思い入れがあっていいですね。 |
ブーレーズ、フランス国立放送響 | DENON | 1964年録音。フランスでは2つのディスク大賞を受賞したもの。日本では通信販売のコンサートホールソサイエティから。中高生の当時「買いたいな、でもキワモノだしな」などと思ったものでした。 |
マルケビッチ、フィルハーモニア管 | EMI | 日本のハルサイを、日本における指揮法を確立した人、マルケビッチ。日本のオーケストラ史上では欠くことの出来ない存在でしょう。1959年の録音。今では全く自然にかえってもの足らなく聞こえます。 |
ショルティ、CSO | DECCA | 今では忘れ去られていますが、どうしてどうして良い演奏です。ショルティ、シカゴ響も決してドイツ・オーストリア系だけではないのだと実感させてくれます。1974年。シカゴ響の相変わらず凄いこと。 |
アバド、ロンドン響 | DG | ここら辺からハルサイもしなやかに耳にここちよいイージーリスニング(?)調なってきます。もうハルサイも「青春」の一つの古典となったのですね。モダーンで苦もなくやってます。でも「青春」て違うんじゃないかな。1975年。 |
デイビス、COA | PHILIPS | アムステルダムコンセルトヘボーもシカゴと同じくやはりドイツ系と見なされている。1976年の録音だが90年近い伝統の中で初めてのハルサイだ。しかし、この演奏の凄いこと。これが本物のハルサイかなと思わせる。指揮者にデイビスを得てブーレーズとは違うアプローチ。 |
ドラティ、デトロイト響 | DECCA | ライナー始め、ショルティ、ドラティとハンガリー系の指揮者は職人というか、本当にいい仕事をしている。この「春の祭典」も絶品である。TOPクラスの演奏。録音も比較的新しい1981年。 |
ここに揚げた中で私がCDで持っているのはドラティとブーレーズの新盤の2枚のみ。後は皆LP。さて、どういうものですかね。私はLP派なのですが。ハルサイだけにこういう議論も面白い。
小澤征爾、トロントSO。鶴田錦史(琵琶)横山勝也(尺八)<67> | RCA | ニューヨークフィルとの初演直後にトロント響と録ったこの曲最初の録音である。研ぎ澄まされたものもあり、日本独自の感性もあり、子供が聞くと怖がるというのも判るような気がする。でもこれまで尺八と琵琶が出会わなかったというのも実に不思議なことだ。 |
若杉弘、読売日本SO | VICTOR | これを最初に聞いたとき、あ、我々も遂に世界に誇るべき作曲家を持ったのだとつくづく感じたものだった。1957年東京交響楽団の委嘱作品。早坂文雄氏に捧げられている。LP「武満徹の音楽」の中の1枚。 |
若杉弘、読売日本SO | VICTOR | 旋律やリズムなど新しいポリフォニーを考える最初のデッサンと武満自身がメモしている。ドーリアとはドーリア旋法のこと。1966年度クーゼヴィツキー財団委嘱作品、クーゼヴィツキーに捧げられる。このLPの演奏が日本初演となる。上記「弦楽のためのレクイエム」とのカップリング、他に大岡信の詩による「環礁」が含まれる。 |
アンセルメ、スイスロマンドO | DECCA | もう今となっては何種類も出ているが昔は「白鳥の湖」といえば全曲盤であれ、ハイライトであれ、録音の良さでアンセルメがダントツであった。今でもこの「スイスの時計技師」の演奏はどこをとってもニュアンスに富んだ尚かつ実際にバレーを彷彿させる名演である。 |
フェストラーリ、オランダ放送SO | DECCA | フェストラーリのこの盤は実に美しい。オケが充分とは言い難いがそれでもここまでもっていってるフストらーりの力は大したものである。 |
プレヴィン、RPO | EMI | プレヴィンのこうした曲における表現力というものは非常に優れている。先ず第一は力みが決してないことである。力みも入った演奏であれば子供達は真っ先に逃げ出していってしまいそうな気がする。そうしたものがオーケストラにも作用し、非常に伸び伸びとした、生き生きとした表現、洗練された演奏となっている。実に楽しめるものとなっている。 |
アンセルメ、スイスロマンドO | DECCA | アンセルメはやはりバレーの神様である。この演奏を聞くと必ずバレーを髣髴させる。どのように踊っているか、目の前に見えるようである。何度も演奏したに違いない実体験がどのくらいものをいうか判る演奏である。特に第2幕お菓子の国での様々な賓客の演奏はバラエティに富んで絶品である。 |
アンセルメ、スイスロマンドO | DECCA | アンセルメのバレー曲の良さは何といってもそのリズム感の素晴らしさにある。眠りの森の美女は3大バレーの中では最も上演回数の少ない演目であろうが、曲自体はその構成力からいって一番優れているのではなかろうか。淡々とした中に非常にニュアンスに富んだ演奏を聴かせる。 |
カラヤン、BPO<66> | DG | これは小澤・サイトウキネンの定盤だと思いながらも、我が家の何処にも見当たらないので仕方なくピンチヒッター。とはいうものの並大抵のピンチヒッターではない。カラヤンは14年後の80年にも再録しているがやはりカラヤンは60年代である。そして何よりもこのLPのジャケットが良かった。この頃のDGのジャケットは例のムラヴィンスキーのチャイ3部作始め最高であった。それにしても小澤は何処だ(・・ )( 。。) |
コンドラシン、RCA交響楽団<76> | RCA | 骨太のコンドラシンの面目躍如の演奏がこれ。他にも幾つかの名演があるが、コンドラシンを知るには一番良い演奏ではないかと思っている。ソヴィエト国立でないだけにより一層コンドラシンの意志が明確になったと言えるだろう。 |
ボールト、LPO | Concert Hall Society | これはマイナーレーベルゆえ知っている人は極々限られる。しかし「惑星」などで知られるボールトの輪郭のはっきりとした、それゆえぴったりとあった「イタリア協奏曲」である。ダイナミズムの凄さ。17cmLPである。 |
ライナー、CSO | RCA | なにも言うまい。唯々この盤を薦めるばかりだ。録音の優秀さとかオーディオファイルとかいろいろあるだろうが、そうしたこととは全く関係なく純粋に音楽的にバスドラ一つだけでもこれだけ優れた演奏が出きるということを示した秀演である。余分な贅肉を取るためにカットまで施されているのはさすがハンガリー系と言うべきか。 |
カラヤン、BPO<66> | DG | ドンコサック合唱団を冒頭に配した演出の際だった演奏。合唱のバスが光る。Story Teller のカラヤンの演奏である。 |
デュトワ。MSO | DECCA | 1812年もデュトワの手に掛かると綺麗になりますというのの典型のような演奏である。色彩感も豊かでこういうのを聞いていると戦争を肯定したくなってしまいます。え、良いのか??? |
オーマンディ、フィラデルフィアO | RCA | これも一世を風靡したと言っていいのだろうか、電子キャノン砲を使った1812年であった。 |
クナッパーツブッシュ、VPO | DECCA | ワーグナーの管弦楽を聞くのに絶対に落とせない盤がこれ。決して入門者用ではないと思うが、恐らくはこれを聞いた途端にワーグナーに、そしてクナッパーツブッシュに嵌ってしまうこと請け合いだ。それほどこの盤はただごとではないものを秘めている。音楽芸術一般、音楽を創造するということがどういうことなのかの啓示を与えてくれる。この盤を聞くということはただ単に音楽を聴くというよりも、まさに宗教的な儀式に参列するような意味を秘めている。この後、RINGであれ、パルジファルであれ歩を進めるということになろう。 |
クナッパーツブッシュ、MPO | WESTMINSTER | VPOとのものもいいが、こちらのミュンヘン・フィルとのものも圧倒的名演である。「ニュールンベルグ」然り、又、「タンホイザー」もなかなか聞けないだけに、そしてこれが頗る精妙な演奏で素晴らしい。DECCAとともに揃えておくべき盤。 |
フルトヴェングラー、VPO、BPO | EMI DG |
管弦楽曲集ということなので1枚で示すことは難しい。いずれにせよ、EMI盤、DG盤どちらも耳を傾けることを勧める。DG盤はライブなので共に聞きたくなるであろう。その後、「トリスタンとイゾルデ」「指輪」と聞くことになると思われる。 |
カラヤン、BPO | EMI | ワーグナーの管弦楽作品を単独で聞きたいということになれば、このカラヤン盤が一番のお薦めかも知れない。録音も良く、破綻も少ない。簡略にワーグナー像をとらえたいというような場合は非常に便利である。そこから先へ例えばカラヤンのトリスタンとか指輪へ進むかどうかは又、別の話ではあるが。 |
カラヤン、BPO<71,72> | DG | もうこういう曲はカラヤンの独壇場だろう。というのも普通、マエストロはこういう曲を単独で振ったりはしないのだから。又、カラヤンの偉いところはこういう曲ですら手抜きをする事無く、きっちりとやっているということだろう。 |
フルトヴェングラーVPO | EMI | そう言えば巨匠のウェーバーは残っていましたね。フルトヴェングラーとウェーバーはまさにぴったりという位ですから、これを聞かない手はありません。正に真性ロマン主義を堪能できる事でしょう。これで充分だ。他はいらない。 |