器楽曲


108. バッハ ゴールドベルグ変奏曲
グールド SONY グールドは先ず何よりも自分自身の感性の中において、バッハを再構築し、最高に楽しんで弾いている。それ故嫌いな人は絶対に嫌いなのだろうけれど、なかなかこういう演奏は出てくるものではないと思う。
ヴァルヒャ EMI ヴァルヒャのチェンバロによるゴールドベルグである。元々クラヴィーアのために書かれたモノだから、こちらを聴く方が正当であるかも知れない。それにしても、ヴァルヒャはオルガンでもそうであるが襟を正す演奏。この曲は聞いていて寝てしまってもそれが正解で、許されるので良い曲である。でもヴァルヒャでは恐らく寝れないであろう。


78. バッハ 平均率クラービア曲集全集
リヒテル RCA リヒテルのこのバッハはどうだろうか。一般に我々がリヒテルにイメージするものとは全く違った世界が展開されている。恐らくそれはバッハが演奏者に与える自由空間が影響しているように思える。リヒテルはここで思う存分自分の精神を飛翔させ伸び伸びとした実にロマン的的な世界を構築している。我々はリヒテルによって初めて、実に多様な平均律クラーヴィアを与えられたのである。
グールド SONY グールドの天才はここにも生きている。グールドはこの平均律の一曲一曲をいつも新鮮な感覚で与えてくれる。ここにあるのは天才グールドの中にいつも息づいている平常心、創造的な歌心である。


137. バッハ トッカータとフーガ 他オルガン曲集
ヴァルヒャ ARCHIV 盲目のオルガニスト、ヴァルヒャの演奏はただひたすら、ひたむきであり、謙虚であり、崇高である。技巧の誇示を目的にしたトッカータにおいても、実に巧みな技を持ちながらもソレが表面には出ず、実に何気なく弾かれている。そして又、フーガやコラールの実に美しく宇宙的なこと。ここに確かに見られるのは小宇宙である。


138. バッハ イタリア協奏曲・フランス風序曲
カークパトリック ARCHIV バッハの有名なチェンバロ曲を2曲入れたもの。イタリア協奏曲はヴィヴァルディのバイオリン協奏曲から影響を受けている。従って聞いていても自然とTuttiとsoloという風に聞き分けている。ヴァイオリン協奏曲としても聞いてみたい。しかし、この2楽章のアリアの美しさは堪らない。フランス風序曲は管弦楽組曲と考えれば良い。こちらはリュリからの影響を受けている。管弦楽組曲同様非常に明るく実に楽しい曲想である。


111. バッハ 無伴奏チェロ組曲
カザルス EMI 無伴奏といえばカザルス、カザルスといえば無伴奏といわれるくらい、もう不即不離の関係にある。カザルスを聴かずして無伴奏は語れないであろう。MONOとかSTEREOとかは全く関係の無い超名演。無人島に持っていくとしたらこの盤であろうか。


112. バッハ 無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ
シェリング DG なにかこうやって記していくと、堅い演奏ばかり選択していると言われそうだが、こちらの固定観念かも知れないがバッハの代表演奏というと、こうしたモノを選んでしまう。若い頃、聴いていてプッツンしそうな感覚、危うさが堪らなく良かった。ヴァイオリンの無伴奏とは私にとってそういう感覚である。現在であれば、緊張感では無く、もっと豊穣な演奏を選ぶかも知れない。弦=神経という感覚で。


113. バッハ 音楽の捧げもの
リヒター、ニコレ、ビュヒナー他 ARHIV フーガの技法とともに対位法芸術の奥義を究めた音楽といわれるこの「音楽の捧げもの」であるが、そんなことは関係無しに娯楽音楽として聞いても充分楽しめる。独身の頃は休日のお昼、パンを食べ、紅茶を飲みながら聴いたモノだった。なにか貴族の食事をしてるみたいで豪華な気分に浸れるのだった。なかなか学究的に聞くという気分にはなれない音楽である。ソリストは名手ばかりなので非常に贅沢な楽しみである。


114. バッハ フーガの技巧
マリナー・アカデミー室内管 PHILIPS オルガン、若しくはハープシコードなど、色々なバージョンが有る中でこのマリナー盤は明るい響きの中で、肩も凝ることなく、楽しく聞ける。様々な楽器による演奏を楽しみながらなフーガのお勉強をする事ができる。未完に終わっている曲も入っていて良い。しかし、バッハって本当に大したモノだとつくづく感心してしまう。正に豊饒の海である。


77. ベートーベン ピアノソナタ全集
バックハウス DECCA 個々の曲目においては兎も角、ベートーベンのピアノソナタ全集でこのバックハウスを超えるということはなかなか難しいことのように思える。そのことはS・イッセルシュテットピアノ協奏曲全集においても既に立証済みのことと言えるであろう。なるほど、非常に自由な感覚のグルダもあり、又、もっと若いところではアシュケナージの盤もないではない。又、後期におけるポリーニも又。しかし全体に於ける完成度の高さにおいて比肩しうるのはバックハウス自身のモノラル盤しかないであろう。


183. ベートーベン ヴァイオリンソナタ第5番「春」
オイストラッフ、オボーリン PHILIPS 3月、雪解けが始まる頃になると無性にこの曲が聞きたくなる。それだけ確かに春の雰囲気が現れた曲であると思う。ヴァイオリンとピアノとはなかなか音色的に溶け合わない組み合わせであるとは思うのだが、オイストラッフの悠然とした演奏の中に四季の移り変わりを感じ取れる。オボーリンとの対話も楽しい。
クレーメル、アルゲリッチ DG 暫くオイストラッフの演奏だけを聴いていたところに、このコンビの演奏が現れた。巨匠的な風格のオイストラッフに比べるとまだまだ、若さしなやかさがある。「春」にはこうしたしなやかさは最も必要であろう。アルゲリッチとは対等となって一層ヴァイオリン・ソナタというものが明確になったように思える。


184. ベートーベン ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツエル
オイストラッフ、オボーリン PHILIPS スプリング・ソナタに比べるとこちらの方が聞く機会が少ないように思える。恐らくは「スプリング」ソナタほどコンパクトではないというただそれだけのために。恐らくこの曲当たりでベートーベンはヴァイオリン・ソナタの究極まで行ってしまったのではないだろうか。比較的初期に書かれ、その後一切ヴァイオリン・ソナタには手を染めることはなかった。音色的になかなか溶け合わないヴァイオリンとピアノのコンビネーションに限界を感じたのかも知れない。
クレーメル、アルゲリッチ DG 「スプリング」ソナタの項目の所にも記したのだが、ピアノ伴奏によるヴァイオリン・ソナタというものを最も明確にしたのが、このアルゲリッチ・クレーメルのコンビではないかと思える。それくらいここではピアノとヴァイオリンが全く対等なのだ。ベートーベンにおいては、いくらヴァイオリンソナタとはいえ、ピアノが単なる伴奏にとどまるいうことはあり得なかった。オイストラッフを聞くとオイストラッフが主、オボーリンが従という感じは拭えないが、こちらではまさに対等、というよりアルゲリッチの方がその情熱において引っ張っているという感すらある。これはまさに「クロイツエル」の名盤といっていい。


185. ベートーベン ヴァイオリンソナタ全集
オイストラッフ、オボーリン PHILIPS 最もスタンダードであり、これがヴァイオリンソナタだと思って聴いていたのがこの演奏。今でも「スプリング」ソナタなど、心惹かれるものがある。
クレーメル、アルゲリッチ DG 「春」や「スプリング」で記してきた通り、ベートーベンのヴァイオリン・ソナタを知るためには、今このコンビで揃えるのが一番良いかも知れない。


186. ベートーベン チェロソナタ全集
フルニエ、ケンプ DG ヴァイオリン・ソナタと同じ事が言えるかも知れないが、ピアノというのはやはり独奏楽器、己れ自身で完結している楽器であると思う。他の楽器との融合は難しいのだ。ヴァイオリン・ソナタはまさにその典型であると言えるが、チェロの場合は低音楽器だけにまだチェロがピアノを包み込んでくれる要素を持っている。対照的な盤ではあるが、どちらかと言えば、こちらのフルニエ、ケンプの典雅さ、柔らかさの方が私の好みには合っている。特に5番など。
ロストロポービッチ、リヒテル PHILIPS ベートーベンのチェロ・ソナタ、チェロとピアノの丁々発止を聴くなら、むしろこちらの方かも知れない。フルニエ、ケンプとは正に対照的。両方揃えられるならば、両方ともあった方が面白いだろう。


.ショパン「夜想曲」全集or選集
フランソワ EMI 天才的な味わいのある演奏。それだけにきまぐれもあるのですが、一つ一つにコクがあってなんとも言えない、ロマンティックな演奏です。ノクターンは、感傷ではないということを思い起こさせてくれます。
ルービンシュタイン RCA 定番中の定番ですが、やはりいい演奏です。こういうのをオーセンティックというのかな。
アシュケナージ DECCA きちんとしたいわゆる優等生的な演奏。優秀だなとは思うのですが、優等生でない私には・・・・。
ブライロフスキー RCA なにげなく弾いているんだけれど、なにかどこか懐かしい、そんな演奏です。もう殆ど忘れ去られている。


61. ショパン エチュード全曲
ポリーニ DG 初めてポリーニを聴いたのもこのエチュードだったような気がする。その音の粒立ちの良さと演奏技巧にはまずびっくりさせられた。こんなに苦もなく弾いてしまうのかという印象。と同時にエチュードの真の姿を明らかにしてくれた。なかなかこういう人、こういう演奏は出るものではない。完璧の美
アシュケナージ DECCA ポリーニに比べれば、ずっと安定していると感じさせる演奏。ポリーニはエキセントリック。アシュケナージはオーセンティックもしくはオーソドックス。詩情をどこに感じるかが別れ目だと思う。


62. ショパン ワルツ集
リパッティ EMI モノラルながらこの演奏を落とすことはできないだろう。曲目のここかしこにリパッティの天才が閃いている。モノラルであることを忘れさせるような音、響きが聞こえてくる。みずみずしい情感。夭折。コルトーはその死まで見抜いていたのだろうか
ルービンシュタイン RCA どちらかと言えばルービンシュタインは啓して遠ざけていた口である。LP時代には買わなかった。しかしCDになってから購入して聴いてみて驚いた。あざとさの何もない演奏。全くの自然の中に聞かれる情感。何度でも聴ける名演。


63. ショパン マズルカ全集
ルービンシュタイン RCA マズルカのような曲はやはりその民族性を抜かして通ることはできないであろう。いわば方言のように身体の一部となっているようなものは獲得するのは容易ではない。そんな点、ルービンシュタインは祖国の音楽を共感をもって実に巧みに語っている
フランソワ EMI 前項を真っ向から否定するグローバルなマズルカ。こんなことが可能なのは、フランソワの気まぐれな天才からでしかない。どこからインスパイアーされるのか、実に洒脱、エスプリのきいた演奏である。


64. ショパン バラード全曲
フランソワ EMI バラードのような想像力と幻想性をかきたてる曲はもうまずもってフランソワしかいない。こうしたポエジーは天性のものとしか言いようがなく、自由闊達に飛翔する精神とその瀟洒な詩情は更に我々を自由な物語の世界へと誘う。
ルービンシュタイン RCA これも又オーセンティックな演奏。静謐に語られる物語の中のファンタジーも確かに我々の心を打つ。


65. ショパン ポロネーズ
ポリーニ DG エチュードで述べたのと同様に一つ一つの音が粒立ち直裁的なスケールの大きなポロネーズとなっている。これを聞いて、今まで聞いていたポロネーズとは一体なんだったのだと目から鱗の盤。ポリーニの芯の強さ、強靱さが窺われる。


66. ショパン 小品集
フランソワ EMI 所謂全集ものとか〜集といったものではなく、ちょっとショパンを聴いてみたいといった時にはやはりフランソワがいいだろう。そのエスプリ、天才の閃きが随所に散見され、入り口がフランソワであるとショパンの聴き方が異なってくるように思われるのだ。ショパンのエッセンスをフランソワで。


194. ドビュッシー 映像第1集&2集
ミケランジェリ DG ミケランジェリの演奏を聴いていると来日時のTV中継を思い出してしまう。髭のおいちゃんが弾きながら観客の方を見たりしている。普通は演奏に没頭していて(或いはするために)そんなことは無いのに。さすが余裕、天才である。ミケランジェリのドビュッシー、イマジネーションに満ちた演奏とはまさにこのような演奏をいうのであろう。70%の演奏が30%のimaginationを飛翔させる。


195. ドビュッシー 組曲「子供の領分」
フランソワ EMI 本当の天才というのはサンソン・フランソワのような人のことを言うのだろうか。ショパンもドビュッシーも本当に何気なく弾いてしまう。そしてその各々が、ショパンであれ、ドビュッシーであれ、絶品であるのだから堪らない。天才のひらめきが、曲の本質を捕まえてしまう。最初はショパンから入ったのだが、ドビュッシーもこんな風に弾いてしまうのかと唖然としてしまった。フランス人ならでは、天才フランソワならではの演奏であろうか。脱帽。
ミケランジェリ DG 真摯に楽譜に対峙し、実に透明な音造り。ミケランジェリならではの音色が生き、音の一つ一つが粒だっている。
田中希代子 KING 初めて聞いた子供の領分であるが、なかなかのものであると今でも思う。日本の先駆けの演奏にも耳を傾けて欲しい。


196. ドビュッシー ベルガマスク組曲
フランソワ EMI ドビュッシーも一度嵌ってしまうとなかなか抜けられなくなってしまう。ましてやそれがベルガマスク組曲のようなポエジーに富んだものとなると尚更だ。曲自体が素晴らしい上に、サンソン・フランソワのように洒脱な演奏で聴いてしまうと堪らない。正に想像力をかき立てられる演奏である。こういう演奏を聴いてしまうと、ドビュッシーは演奏するのがつくづく難しいなあと感じる。


155. コダーイ 無伴奏チェロ組曲
シュタルケル DELOS コダイーの無伴奏と言えばシュタルケル、シュタルケルと言えばコダーイという位、よく知れ渡っているものなのだが、「松脂が飛ぶ」と評された有名なPHILIPS録音のものは手に入れられずにいる。あれはモノラルであったがこちらは1970年日本での録音のSTEREO盤である。作品7のヴァイオリンとのデュオもカップリングされている。


211. クライスラー ヴァイオリン小品集
クライスラー EMI、RCA クライスラーの自作自演集はRCAであれ、EMIであれ、堪らない魅力にあふれている「愛の喜び」であれ、「愛の悲しみ」であれ、美しいロスマリンであれ、その魅力は尽きることがない。方やハイフェッツのような超絶技巧の名人もいる中で、ヴァイオリンという楽器そのものを哀惜するような小品集の数々は珠玉の如き光を放ち、今後も長らく愛されていくことになろう。こうした味わいはなかなか現代のヴァイオリニストからは得られない。


215. リスト 超絶技巧練習曲
アシュケナージ DECCA リストの、更に超絶技巧ということになるとどうしても技巧に傾きがちであるが、ピアノの優等生アシュケナージの場合は、その技巧もさることながら、真摯に楽曲に立ち向かい、この曲の素晴らしさを見事に活写している。


240. モーツアルト ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
内田光子 PHILIPS K330から始まるK332までの3曲はこれまでパリで作曲されたと思われてきたが、実は1784年頃のウィーンであると考えられろようになった。内田光子は「完璧なものを目指すよりは先ず生きた演奏を録音することを心懸けた」と自ら述べているが、まさにそのような演奏になっている。


241. モーツアルト ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」
内田光子 PHILIPS これはモーツアルトのピアノ・ソナタの中でも最も有名なものである。この名曲のベストが内田光子であるから、我々にとってこんな嬉しいことはない。例えば第1楽章の変奏曲は第4variationなど管弦楽的な色調に富んだモノである。こうしたところを内田は実に構成力豊かに又尚かつ緻密に、いきいきと歌っているのである。
田中希代子 KING これは私が中学生の時にK.331を初めて聞いた盤である。KINGレコード社から出していた中学校音楽鑑賞教材シリーズ全8枚の中の1枚に収録されているものである。当時の日本に於ける代表的な演奏と言って良いだろう。今、聞いてみても、非常に端正な生き生きとした表現である。


242. モーツアルト ピアノ・ソナタ第12番へ長調K.332
内田光子 PHILIPS K330、K331とともに作曲された最後の1曲。メロディーも豊富であり、そのメロディーの一つ一つを内田は丁寧に尚かつ極めて生き生きとしたものにしている。まさに、内田の音楽である。


246. パガニーニ カプリース(奇想曲)Op.1全曲
五嶋みどり SONY この曲を演奏するというだけでも大変なのに、10代でこのような演奏をしていたみどりの才能というものは実にたいしたものである。これをただ単に技巧とだけ呼べる人は少ないのではないか。


257. ラヴェル 「夜のガスパール」
フランソワ<67> EMI 筆者が初めてフランス語を習い始めた頃、そのテキストに「夜のガスパール」が出てきた。そんな事もあって私においてはフランスと「夜のガスパール」は密接に結びついている。ラヴェルの天才が縦横無尽に充ちた傑作中の傑作。そんなポエジーに溢れた雰囲気をフランソワは如実に現してくれている。やはり夜に聴くのが良いか?
アルゲリッチ<74> DG アルゲリッチがこの曲を出してくれた時、早速買い求めた。「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」の各々の世界を実に巧みに表出している。こうした幻想的な世界を紡ぎ出すというのは、精神的にも肉体的にも、実はとてつもなく大変なことではないかと感じさせてくれる演奏である。曲自体の素晴らしさと共に脱帽ものである。


258. ラヴェル 「水の戯れ」
フランソワ<66> EMI これ又ラヴェルの天才のひらめきに充ちた作品である。演奏も又、天才フランソワで聴きたいものである。実に洒脱な演奏を聴かせてくれる。恐らくは閃きがなかったならばこのような演奏は不可能なのではないだろうか。
アルゲリッチ<60> DG 筆者が初めて耳にした演奏がこれ。全く若々しくみずみずしく、感性豊かな表現。そのみずぎわだった演奏に脱帽。


265. サン=サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソOp.28
鄭京和(vn)デュトワ、RPO<77> DECCA デュトワの味わいと鄭の情熱的な切れの鋭さ、そんな対比の妙もあって天才サン・サーンスのこの曲も一層華やかさを増している。
ハイフェッツ、スタインバーグ、RCAso<51> RCA これはやはりハイフェッツの妙技を聴くためのものであろう。と同時にこの曲の凄さ、素晴らしさをも満喫できる。


266.サラサーテ ツイゴイネルワイゼンOp.20
ハイフェッツ、スタインバーグ、RCAso<51> RCA ツイゴイネルワイゼンと言えばもうハイフェッツ、こを耳にしていない日本人なんて果たしているのだろうかと思えるくらいだ。
レヴィン、ストラットキン、ハリウッドボウルSO<60> SERAPHIM レヴィンのヴァイオリンは素晴らしい。技術も完璧ならば音色も豊かで美しい。彼も夭折の天才であったか。この1曲しかないので所持していないので、何とも言えない。しかしこの演奏に聞く限りは素晴らしい才能である。
諏訪内晶子<2001> WARNER あまり期待していなかったのだけれど、なかなかこれは良い演奏である。最良の美点は音色の美しさとそのしなやかさにある。ジプシーの情熱的なというのではなく、この曲の別の面を見させてくれる演奏である。諏訪内のデビュー10周年のベスト、Crystalの中の1曲である。


270. シューベルト ピアノソナタ第18番ト長調D.894「幻想」
ルプー<74> DECCA 「幻想」という名は初版の「ファンタジーとアンダンテとメヌエット、およびアレグレット」のファンタジーに由来しているとのこと。ルプーの感性、想像力は第1楽章から閃き飛翔している。


280. シューマン 子供の情景Op.15
ホロヴィッツ(p)<82> RCA ホロヴィッツの「子供の情景」の演奏は62年のものと最晩年の87年のウィーンのライブもあるが、これは82年5月にロンドンのロイヤル・フェティヴァルホールで行われたライブ「HOROWITZ IN LONDON」である。