映画「阿弥陀堂だより」

寺尾聡、樋口可南子主演のこの映画は2002年秋に劇場公開されました。
「忘れていた、人生の宝物に出逢いました」をサブタイトルとして
「都会からふるさとに帰った夫婦、孝夫と美智子
おうめばあさんのいるこの村の、巡る季節と、美しい自然が、
二人の傷ついた心をやさしく包み込む」ようすを北信濃の四季の景色の中で
ゆったりと描いています。
自然の中にいるだけでいやされていく人の心、おうめばあさんの生き方が
あなたの人生観をみつめなおすチャンスになるかも。
この映画で使用された唯一のオープンセットである「阿弥陀堂」は飯山市によって
修復され、周辺の棚田とともに整備されました。(菜の花公園の近くです。)
映画阿弥陀堂便りのスチール

目先のことにとらわれるなと、世間では言われていますが
春になると、なす、いんげん、きゅうりなど次から次に苗を植え
水をやり、そういう風に目先のことばかり考えていたら知らぬ間に
96になっていました。
目先しか見えていなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのが
良かったのでしょうか。
それが長寿の秘訣なのかもしれません。

畑にはなんでも植えてあります。なす、きゅうり、とまと、かぼちゃ、すいか。
そのとき体の欲しがるものを好きなように食べてきました。
質素なものばかり食べていたのが長寿につながったのだとしたら
それは、お金がなかったから出来たことなのです。
貧乏は、有り難いことです。

娘の頃は、熱ばかり出していて満足に家の手伝いも出来ませんでした。
家の者、誰もが「この娘は、長生きは出来ないだろう。」と言っていたものです。
それがこんなに死ぬのを忘れたような長生きになってしまうのですから
人間なんてわからないものです。
歳をとればとるほどわからないことは、増えてきましたが
その中でも自分の長生きの原因が一番わからないことであります。

雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも白一色になります。
山の奥にあるご先祖様達の住むあの世と里のこの世の境がなくなって
どちらがどちらだかわからなくなるのが冬です。
春、夏、秋、冬
はっきりした山と谷の境が少しずつ消えてゆき一年が巡ります。
人の一生と同じだとこの歳にしてしみじみ気がつきました。

お盆になると亡くなった人達が阿弥陀堂にたくさんやってきます。
迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。
話しているうちに自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか
わからなくなります。
もう少し若かった頃は、こんなことはなかったのです。
恐くはありません。
夢のようでこのまま醒めなければいいと思ったりします。

映画「阿弥陀堂だより」のおうめさんの言葉より

詳しくは映画「阿弥陀堂便り」公式サイト
映画ロケ地の案内は、飯山市のサイト「阿弥陀堂便りの里」をご覧ください。

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