何が何でも高速使わないぞツーリング

昨年1年封印していた「走りたい病」の封を開けたものだから今年はけっこう大変。

5月29日の早朝から、好天の予報につられてフラフラとツーリングに出掛けてしまった。
実際行く当ても無かったのだが、取り合えず本州では一度も訪れたことの無い地方を走ろうと和歌山県方面に向かった。
勿論はなっから素直に向かうつもりも、急ぐ旅でもないからテーマは「何が何でも高速使わないぞツーリング」に決定。


1日目
白馬→R158→奈川渡ダム→木祖村R19→南木曽町→R256清内路→阿智村→R153根羽村→R257鳳来町→R151豊川/豊橋→R259伊良湖岬→ッフェリー鳥羽→R260紀伊長島→R42尾鷲市→熊野市→R169下北山村→吉野町→R370五條市→R310河内長野市→堺市→阪神高速(湾岸線?)→神戸泊


2日目
神戸→R2姫路→備前→ブルーライン→岡山→倉敷→尾道市→しまなみ海道→今治市→R494美川村→伍北村→R194西条市→R196東予市泊。


3日目
東予市→しまなみ海道→尾道→R2福山市→R313高梁市→勝山市→R482中和村→R179人形峠→R482佐治村→R53鳥取市→R178香住町→竹野町→京丹後市→木津温泉泊


4日目
木津温泉→R178宮津市→R27舞鶴/敦賀市→R305加賀市→R8富山市→R41神岡→R471平湯温泉→R158梓川村→サラダ街道→大町市→R148→白馬村。



「なにがなんでも高速道路使わないぞ」とは思ってみても、宿泊予定地の宿の確保/食事時間等の制約で、結局「阪神高速湾岸線?」「しまなみ海道」往復は使ってしまった。

伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡り、熊野古道付近を通過して神戸、四国、丹後と周る道中、高速道路を使っていたのでは見られなかったものを、良きにつけ悪しきにつけ目にすることになった。

所謂観光地と称する地域が、そこが観光地である所以の目玉は存在するにしても、それらを取り巻く環境が多分地域発展の大儀の下に粗方破壊されていて、観光の目玉とされる建物なり見所なりがそこに存在する理由さえ簡単には見出せないほど薄っぺらな印象を受けるものが多い中で、例えば和歌山県の北山村や下北山村、愛媛県の面河村や美川村周辺の、うっかりすると見過ごしそうな変哲の無い集落を通過する時に感じた、ゆったりと緻密に年輪を重ね、重厚な時間に満たされた空気が醸し出す贅沢な空間に触れられたことは、今回のツーリングで一番の収穫だったと思う。

その圧倒的な雰囲気が何によって醸し出されているのかは、そこに暮らす人間達の上質な仕草に違いは無いにしても、石垣を構成する一つ一つの石の並べられ方でさえ、人々の重量感ある生き方を主張しているようにも思えた。

一方で、通過した地域が例外なく得体の知れない力で大規模に破壊(開発なんて生易しいものでは無い)され続けている現状を目の当たりにすると、スキー界の云々なんか「へ」とも 思わなくなるほどの無力感に襲われたこともまた事実。

日本のエライ人達は一体何処まで国土を破壊し、どういう形に変えれば満足するのだろうと純粋に疑問に思ってしまった。
自分もカミさんに指摘されるまでもなく、ムダにガソリン使って環境に負荷を掛けている訳だから、偉そうなことを云えないのは百も承知なのだが、それにしても凄まじいまでの破壊の現状は高速道路を使ったのでは多分分からなかっただろうし、その地域に限っても気象を変えうる程の規模で行われているように見受けられた。

全行程雨に降られなかったのは幸いだったが、同時に得体の知れない霞みが掛かっていたのも気になった。
そして小さな島を多分かつての面影を残さないまでに変形させ、車の殆ど走らないしまなみ海道を造ってしまう愚かさとは別に、日本の橋梁技術の凄さにも純粋にに感動した4日間2114Kmだった。


29日 5:10AM。いつもの遠回りルートを使い、伊良湖岬に向けて出発。


伊良湖岬フェリー乗り場


世界遺産は通過。


休憩で寄った下北山村の酒屋さん(5:10PM)。後方は池原ダム湖。
缶コーヒーを買って、酒屋のご主人に「川も水も、村の佇まいも美しいですね」と水を向けたら、「ダムが出来てからはダメになった」と言うような事を仰って、両手を広げて「昔はこんな大きな鮎が登って来たもんだ」と、過ぎ去った遠い日を懐かしんでいるような目つきになった。

「昔は良かった」って話はよく耳にするけど、昔のほうが本当に良かったのなら、人間は今まで一体何をしてきたのだろうと思う。夢も希望も持って、より良い明日の為に今日を生きているに違いはないにしても、やはり良くなり具合の波長にズレが生じているのかも?。あるいはゼロサムということなのか(・・;。


五條市から富田林市までのR310は大都市に近いのに、思いがけず快適なワインディングで驚いた。初日は651Kmとたっぷり走って満足満足。
神戸に来たのだからキヨさんのお店に行きたかったのだが、何せホテルに辿り着いたのが9:40PMだったし、明日も早いから今回は断念した。

早朝から走り始め、ゴーストップを繰り返す市街地をいくつも通過したり、国道とは思えない狭隘な山道や渋滞路を16時間半も走るとさすがに疲労困憊。
お腹は空いていたのにレストランに出掛けていって食事をするのも億劫になって、シャワーを浴びたら不覚にも爆睡。

今日の走行距離651Km。
アベレージ39.4Km/h


30日5:06AM。
カーテンを開けると丁度朝日が射し込んできて、今日も好天を予感させる。
準備を整え、5:55AM国道2号線を西に向けて走り出す。早朝からR2は交通量が多いが、もう少し経つときっと凄いことになるのだろう。


ブルーライン
R2は予想通り交通量がとても多いが、適所にバイパスが整備されているから、所々渋滞はしていたものの、うんざりする程ひどいこともなく、名前負けしない快適なブルーラインを楽しんだりしているうちに、尾道からのしまなみ海道に乗ることが出来た。
しかし、初めて走ったR2の印象は残念ながら皆無(^^)。


しまなみ海道。車走ってませんが??。


車なんか2台しか停まっていなかったパーキングエリア。


サービスエリアにも車数台・・・ダイジョーブですか?。

適材適所ということなのだろうが、橋には色んなタイプがあって、さながら見本市みたいで見応えがあったものの、「コストパフォーマンスなんかしらんもんね〜」って造っちゃったのは明白。車の少なさから見てもモトを取れるのは1億年先か(^^;。

通行料金はたったの50Km位で3800円と、高速道路にしてはベラボーに高いが、タックスペイヤーとしては気を失いそうになる程のイニシャルコストやランニングコストを考えれば、そして日本の技術者魂や、実際建設に携わった職人達の腕や根性や度胸の集大成を身近に感じられることからすれば、「タッタの3800円でホントにEーんですか〜」となってしまう。
ちなみに、これは伊良湖⇔鳥羽間の伊勢湾フェリーより100円高く、今治北ICだったら50円も安い(^^)。

四国に上陸したのは良いのだが、今晩の宿を確保しておかなければ安心してうろつけないから、取り合えず四国カルスト方面を目指してR196を南下していたら、休暇村が目に入ったのであたってみることにした。

幸い部屋をとることができたので一安心。手続きを済ませて早速カルストに向かった。

国道494の黒森峠はこんな感じ。
高速道路で配っている地図しか持って行かなかったから、道の広さや曲がり具合なんか分かる筈も無く、自虐的な意味合いに於いても相当楽しませて貰った(^^)。


但し、国道沿いを流れる渓流の美しさは圧巻で、それらを構成する岩や樹木の雰囲気もさることながら、水の透明度というよりはむしろその色合いに引き込まれるような魅力を感じた。
そしてこの水の色は透明度に違いがあるにしても、走った範囲のうちのどこの川でも基調は同じだったから、カルストに因るのかもしれない。


三度のメシより走っていた方がマシと思う位なのに、四国の川に遇ったら宿の食事時間に制約さえなければ、いつまでも眺めていたいほどの気分になってしまったから、少し移動する度に変わる川の表情が如何に魅力的かが分かろうと言うもの。


すれ違う車皆無のR494では超低速走行を強いられていたから、漸く2車線と広くなった部分では当然のように速度は上がったのだが、その途端、ナント車載レーダーを積んだパトカーに出食わしてパッシングされてしまったのだ。
それが何を意味するのかも分からないまま(未だに)本能的にルート変更をしてしまったから、結局カルスト行きは断念してR439/R194を左回りに走ることになった。
池川町、吾北村、本川村、西条市を通って”休暇村瀬戸内東予”にチェックインしたのは4:30PMだった。

この程度だと全く疲労しないし、特別名勝地という訳でも無いのだろうけど絶景も見られたし、体も気分もゼッコーチョーで夕食までの時間はマッタリと過ごした。

夕食はセルフサービスなのが??だったが、瀬戸内海の幸がたっぷりで満足。普段は飲まない生ビールを注文し、一気に良い心持。
昨日食べられなかった夕食の分も楽しもうと、調子に乗って今度は瓶ビールまで注文しちゃったものだから、もともと飲めない自分にはとても乾杯は無理で、残すのは勿体無いからと酔った勢いで隣のご夫婦に片付けて貰う。それがきっかけで話が弾みとても楽しい夕食になった。

今日の走行距離464Km
アベレージ44.2Km/h


31日

休暇村を出発したのは8:00AM。


しまなみ海道の復路は「来島海峡大橋」から始まる。この三連吊橋は、7つの橋で構成されているしまなみ海道の中でも特に圧巻。もう何も言うまい(^^;。

今治市内では多少の渋滞に遭遇したものの、尾道までは順調にツーリングを楽しめたのだが、さすがに福山市から芳井町にかけてのR313には参った(・・;。
何が?って、渋滞こそしていなかったものの、数十メートル置きにある信号器がことごとく赤だったからだ。これを延々カマされると大抵の人はめげる筈。そんな市街地を漸く抜けると、勝山町と湯原町の間でR313は全面通行止めになっていて、迂回を余儀なくされる。

通行止め現場で頂いた地図を参考に、県道湯原美甘線と思われる道を迂回しているつもりだったのだが、不案内な土地で確信が持てなかったから、こんな山道に??とは思ったものの、幸い路肩に停車しているパトカーが居たのでそこにMCを停め、地図を持って道を尋ねることにした。

一人で乗っていた若い警察官は、面倒くさそうで横柄で不親切な印象だったが、むしろ人のことばが通じないような感じがしたと言う方があたっているかも。「人間か?」と思った位だった。

知る限りではこちらが悪さをしない限り親切な印象のあるおまわりさん達とは違っていて、そんなもんだから勿論マトモに道の確認が出来た訳では無く、理不尽な取り締まりに遭遇した時と同様の嫌な気分のまま、勘とコンパス(新規購入の携帯電話に付いている^^)を頼りに何とかR313に戻ることが出来た。

所々狭隘な部分はあっても三朝に抜けるR482は快適なワインディングロード。嫌な気分は霧散した。

三桁国道も整備が進んでいて走り易いが、喜んでばかりもいられないような複雑な心境。


思いがけず出くわした「人形峠」の標識。

人形峠は日本で唯一のウラン採掘場があった場所だから良く知っていたし、何年か前には動燃(現核燃料サイクル開発機構)がウラン鉱山の残土を放置しているという問題があったりしたから(現在も?)自分の中では有名な場所。

偶然にも巡りあえたのだから、バイパスのトンネルで通過するのではなく、旧道を峠に向かった。
日本の核に関わるいろんな意味での発祥の地みたいな印象があるから、そこがどんな雰囲気なのか見ておきたかったからだ。

旧道を2Km程進むと峠の頂上。

そこには展示館やレストハウス?があったのだが、休館になっていて朽ち掛けたレストハウスの雰囲気からして、きっと長い間閉館が続いているのだろうと思った。

旧道は佐治村方面が通行止めになっていたからUターンして元の道に戻る。
ここから用瀬町までの辰巳峠を含むR428は快適なワインディングで、心置きなく楽しめたのは勿論だが、下北山村や美川村と同様の上質で且つ正しい日本の雰囲気(^^)だったし、そしてそれは伝統の重みやそこに暮らす人々の精神性が醸し出すものだという事を、集落の佇まいから感じとることが出来た。
但し、其処に暮らす人々にとって、その日常がフラリと訪れた自分が感じたような「上質で良いもの」かどうかは勿論知る由も無いが^^;。

鳥取に向かうR53は全国共通のありふれた町並みになっていて、道路の整備も進み、交通量の割には快適に走ることが出来るからむしろ退屈でもある。
ところが、高架橋の橋桁に激突直後の乗用車を目撃してからは、如何にノホホンと走っていたかに気づかされ、改めて気持ちを引き締める。

鳥取からは既に何度も走っているR178を今日の宿泊地の候補「丹後半島」に向けて快調に走る・・・と言いたい所だが、四国でも見掛けた車載レーダーを積んだパトカーが中国地方ではウヨウヨ走っているのだ。

計測のシステムがどうなっているかは解らないが、もし出会い頭に速度を測られたりしたらひとたまりも無い状況(;;)。
用心していても捕まる時は捕まる訳だから、その時は諦めるしかないと悟ると漸く本来のペースで走ることが出来るようになった。勿論安全第一。


この余部(アマルベ)鉄橋は20年位前に突風で列車が落下したことがあって、それは今でも覚えている。
19年前、RC30で初めて九州に出掛けた帰り道にここを通り掛り、この鉄橋がその余部だと知って、珍しい鉄道事故だっただけに妙に得した気分になったことを思い出した。

このR178は、かつて有料道路だった竹野海岸の断崖絶壁を縫って走る県道11号線と共に、山陰?地方ではピカイチの道路だと思っているから、九州からの帰りは必ず使っていて、もうかれこれ10回以上か(^^)。
一昨年も保坂氏と山口県からの帰りに走ったばかりで、その時は既に真っ暗でとても楽しめる状況ではなかったのだが、今日は好天に恵まれ、久々にタイトでスリリングなワインディングを堪能した。ガードレールが無い部分もあってドジると本当に日本海にダイブしそうだ。


宿泊を伴うツーリングでは結果的に同業者にお世話になる訳だから、仕事上の刺激を受けると言う意味においても、年に数回は必要な気がする(^^;。
で、いつもは久美浜からR312をそのまま宮津方面に向かうのだが、そろそろ宿を探さなければならない時間になっていたから、R178方面に左折して今日の宿は木津温泉にとる事にした。

木津温泉付近には、小規模旅館で昔からの木津温泉街と、海岸近くに出来た新興の大型旅館街があって、前者は温泉、後者は冬のカニが目玉商品らしい。

目指したのは木津温泉だったから、最初に前者をあたってみた所、シーズンオフでお休みとのこと。時刻も5:30PMを過ぎていたから、きっと夕食の準備が出来ないのだろう。で、大型旅館街に引き返した。

高級そうな旅館が立ち並んでいるから、MCでしかも一人だと何となく場違いな感じがして、宿泊の交渉にもつい気持が萎縮してしまいそうだ。
それでも意を決して目に入った宿のポーチにMCを突っ込んでは様子を見るものの、誰も出て来ないから数軒そのハシゴをしていたら、ついに怪訝そうな顔つきで番頭さんらしき人が現れたホテルがあった。

私:「カクカクシカジカ・・・泊まれますか?」
番頭さん:「調べてきます」

番頭さん:「お部屋とれます云々・・・・・」
宿泊は勉強を兼ねているから、チープな宿泊を求めている訳でも、また過剰に贅沢な宿泊を求めている訳でも無いから、宿泊料金があまりに高いと諦めるつもりだったのだが・・・・・・。

提示された金額は予想を下回るものだったから躊躇無く決定。
外観から受ける印象に違わず、内部も食事の内容もソフト面も全てが満足出来るものだったし、コストパフォーマンスはとても高かいと思ったが、これがオンシーズンだったら2倍程度の出費は覚悟しなければなるまい。

規模といい設備や備品といい従業員の体制といい、何一つアルピーヌにアドバンテージは無いと知るとかなり凹む(;;)。
しかし朝食会場で感じたのは昨日もそうだったけれど、やはり宿の雰囲気の大部分は宿泊客によって作られるということだった。その意味において、アルピーヌは完全に勝っていると確信した\(^o^)/し、お客様には改めて感謝したのだった。

3泊したうちのそれぞれの宿からは、いろんな意味で反省し且つ改善すべき点を教えられたから、「とても勉強になった」などというレベルを超えて、同業者としては身が引き締まる思いになったことも事実。

今日の走行距離423Km
アベレージ44.5Km/h

6月1日
今日も快晴。

宿はこんな感じ。MCは玄関脇の庇の下に置かせて貰えたし、全て大満足だった。
但し、チェックインした時にはとても上品な印象だったロビーの床には朝市の土産品が並べられ、玄関ポーチには団体のバスが陣取って、その周辺は騒然とした雰囲気だった(^^;。

8:00丁度に出発。
丹後半島を時計回りに周って宮津に向かう。

交通量の少ない三桁国道でも改良工事は進んでいて、景色といい道路状態といい、快適にモーターサイクルライディングを楽しめる。


勿論手がつけられていない狭隘な部分もかなりあって、それはそれでまた楽しいが、よくもまーこんな断崖に道を通したものだと感心させらる場面が何箇所かあった。

宮津からはR27を敦賀まで、R8に合流した後は道の駅で休憩を兼ねた軽い昼食を摂ってから、河野村で左折してR305の越前海岸を北上する。
道の駅では1:00PMを過ぎていて、途中で給油はしたもののそれもMCに跨ったままだったから、約5時間以上も休憩らしい休憩を摂っていなかったことに気がついた(汗)。

この汗は自分はもしかしたら「ライディングドランカー?^^;」になっちまったんじゃないのか?という不安からだった。

それが証拠にその後も無休憩で越前海岸を北上し、加賀から再びR8に合流してからは富山まで、そして富山からはR41/R471を上宝村の道の駅まで一気に走ってしまったことからも、益々不安が増幅したのだった。

時刻は7:00PMを過ぎていて店舗は閉まっていた。6時間近く走り続けた(富山で給油あり)ことになる。

ここでの休憩も、実は気温が急激に下がって寒くなったからカッパを着込む為に寄ったのであって、そうでなければそのまま走り続けていたと思う・・・・バカッ(^^)。

平湯からは安房峠を越えるつもりだったが、ナント!未だ積雪の為に通行止めだった。
渋々600円也(しまなみ海道に比べればベラボーに高い!)を投げ入れて安房トンネルに入り、後は淡々と家路を急いだ。
帰宅は8:40PM。

何の不平も不満も漏らさず、無事ツーリングをこなしてくれたR1100Sに思わず労いのことばを掛けてしまったのは、自分の加齢のなせる業か?、それにしても8万キロを超えて全く故障の素振りも見せないBMWには「信頼」と言う言葉がようやく似つかわしくなった感じがした。


今日の走行距離576Km
アベレージ45.7Km/h


総走行距離2114Km
ガソリン消費量102.3L
燃費20.6Km/L