MCときどきにっき05
2005/11/29
11月5日にはRC30が縁で知り合ってから18年、親しくお付き合いしている中村君と走る約束をしていた。
彼と走るのは随分以前の北海道以来で本当に久し振りだったから、ワクワクして前夜はよく眠れなかった程だ。
幸い数日前の週間天気予報はハズレ、朝から雲ひとつ無い青空が広がっていた。MCは勿論RC30。

待ち合わせ場所の「草津温泉道の駅」には、お天気が良いこともあり、予定の時間より随分早く出発したから、約束の10時には余裕で到着してしまった。
勿論余裕の時間は、走ったことの無いつまごいパノラマラインの南ルート探訪に使ったのだが、菅平高原の東に位置する四阿山?の景色がなかなか見ごたえがあったものの、道路状況は北ルートに比べるべくも無い平凡なものだった。

R144鳥居峠のドライブイン。今は閉店しているこのお店は、RC30でもかつて何度も利用したことがあるだけに寂しい限り。


つまごいパノラマライン南ルートより四阿山?を望む


つまごいパノラマライン南ルートより浅間山の噴煙を望む


つまごいパノラマライン北ルート


つまごいパノラマライン北ルート。紅葉も見頃の土曜日なのに、走っている車は僅か。


戸隠バードライン大座法師池駐車場にて休憩。左は中村君の友人木村氏(ヤマハR1)。


久々にじっくりと見たRC30のロスマンズカラーは相変わらず魅力的で美しい。
それは僕らの精神的青春時代に、ワインガードナーによって強烈に脳裏に焼き付けられているから、それだけに当時は黒髪も豊富な二十歳代だった中村君の薄くなった白髪が、無常に過ぎ去って逝った時達にも、確かに量感があったのだと教えてくれているみたいだ(^^)。

気心が知れた友人同士、それも3台ともスーパースポーツ、舞台がワインディングとくれば、その愉しさは推して知るべし。

仕事が忙しくて暫くMCから遠ざかっていた中村君は、かつての膝スリ小僧から随分成長していて大人しめだったが、同じく用事に追われて充分MCを楽しめなかった今シーズンの終わりに来て、快晴の空の下を年甲斐も無く気力の充満したスポーツライディングが出来たのは、中村君と木村さんのお陰だった。

考えてみれば、近年の走り方といったらBMWを多用することが多く、バカチョンカメラのようにそこそこ速く走れるR1100Sに慣れてしまっていたから、例え速いライダーにちぎられるようなことがあったとしても、情け無いことに自分自身に対しては、常に「ツーリングバイクだから」というエクスキューズを用意していたフシがあったのだが、そんな言い訳の出来ないRC30を走らせる時は、18年経った今でも極度に緊張する。

そして、テキトーに減速し、程々に寝かし、程々に加速していく走り方から、次第に「自分なりに」という注釈付きではあっても、思い切り減速し、思い切り寝かし、思い切り加速する本来のスポーツライディングを思い出させてくれた。
そして、そうでもしないとRC30より軽量なのに出力差が70馬力以上もある最新のR1とはタメで走れないし、勿論その差をエクスキューズには使いたくないからだ。

ともあれ、ドキドキする程の強いブレーキングの連続で腕が挙がりそうになったし、低い気温の中でも軽く汗ばむ程だったから、久々にMCでスポーツした気分になれた。
両氏に感謝!

主な走行ルート:

県道35新地蔵峠
R144鳥居峠
つまごいパノラマライン
R406菅平高原
県道506戸隠浅川線
県道36信濃信州新線


2005/11/23
色んなことがあって、その日のことをすぐにUP出来ないのがもどかしい。

11月1日は久々の快晴。
初冠雪の北アルプスを観るために、例によって大岡村のアルプス展望道路に向かった。
昨年土砂崩れで通れなかったワインディングは綺麗に修復され、紅葉が始まったばかりの里山や、遠くに望む北アルプスの絶景を堪能しながら走るのは、ヤボ用の隙間を縫って出かけるたった3時間程度のショートツーリングでも、物凄く幸せな気分になれるから不思議だ。
と言うか、むしろ早朝から晩まで走り続ける時より密度の濃い時間を過ごしているような気がする。

帰りは久し振りに「元祖ジンギスカン鍋」を食べようと信州新町に向かったのだが、途中工事中の通行止めで迂回することになって、「ワインディングを楽しむ」と言うには程遠い狭隘な山道を下っていくと、なんだか見覚えのある集落の上に出た。

ひょっとして此処は?と思ったら、昨年の11月17日に怪我をしたおばあさんを発見した集落だった。

半年位前まではおばあさんの様子がとても気になっていたのだが、多忙な日々(精神的に)追われてすっかり忘れていた。
あれからもう1年も経ってしまったのかと思うと、月日の流れのなんと速いことか。でも現場に立つとその時の記憶がつい昨日のことのように蘇って来る。

常識的には人が居る筈の無い場所に、怪我をしたおばあさんが座っていることの不可解な現実を理解出来ないまま、救出するには一人の手には負えないから集落の住民に協力を求め、消防署への通報と救急車の要請、それに救急車到着までの付き添い依頼等々・・・・。

当時、通報してくれたおばさんからは「お礼をしなくちゃいけないから」とのことで、名前と電話番号を尋ねられたのだが、後は救急隊員に任せてそそくさと現場を離れたのは、この後大岡村から麻績、丸子を通ってビーナスラインを走る予定だったからだ。

日暮れの早いこの時期、救出に至るまではけっこう時間を費やしていたから、多分今年最後になるだろうビーナスラインを明るいうちに走る為には、これ以上ロスする訳にはいかないと気が急いていたことが大きかった。
そして、実際ビーナスラインは日陰の湿った部分は既に凍結していたし、松本に下る頃、あたりはすっかり暗くなっていた。

帰ってからはやはりおばあさんの怪我の具合が心配で、近いうちに通報してくれたおばさんの家に訪問して様子を伺おうと思っていたのだが、当時「名乗るほどの者じゃ御座いません」だか「タダの通りすがりの者です」みたいな軽口をたたいて現場を去ってしまった手前、いまさら「やっぱり名乗り出ることにしました」とノコノコ出掛けるのはカッコ悪すぎる(^^)のでそのままにしていた。

しかし今回も昨年同様迂回を余儀無くされた結果、偶然にもその現場を通りかかることになったのだから、これも何かの縁だろうと覚悟を決め、勿論忸怩たる思いはあったが、通報を依頼しに駆け込んだおばさんの家にお邪魔してその後のおばあさんの様子を伺うことにした。

幸いにもそのおばさんは在宅中だった。

怪訝そうな表情は当時と変わらなかったが、「カクカクシカジカ」と話しを切り出すと、自分で解説するのも変だが、待ちわびた人物の訪問が俄かには信じられないと言った驚きとも嬉しさともつかない表情に変わった。

おばさんは、おばあさんが4ヶ月も入院していたことや、何本かの靭帯が断裂していたこと、リハビリの結果今では軽い畑仕事が出来るまでに快復したこと、おばあさんは一人暮らしだったから、私が発見しなければ命を失っていただろうこと、そして方々手を尽くして私を捜していたこと等々を、切々と訴えたのだった。

おばあさんが無事だったこと、そして未だに不具合はあっても、ある程度の日常生活が出来るまでに快復していたことを知って、何となく気になっていた心配事が解決して、今日の初冠雪の山と空のようにスッキリとした気分になれたのが何よりだった。

事故当時のにっきにはおばあさんが60歳代に見えたから初老のご婦人と書いたのだが、初老とは40歳からだと後から知って愕然とした・・・・・自分は充分ジジーじゃん(^^;。そのおばあさんは70歳だった。

おばさんは早速おばあさんの家に電話を掛けてくれたものの生憎不在の様子だったので、今度は住所氏名を明かして帰ってきた。
数日後本人から電話に続き、お礼の言葉が綴られた手紙を頂いたのだが、怪我から一年間の出来事やその思いを伝えるにはもどかし気だった。

余計な気を遣わせていたことを知って、こんなことならもっと早く名乗り出るべきだったと反省しきり。



頂いた礼状から察するに、SRXはやっぱり人命を救ったのだと思うと今日はやけに頼もしく見える。

まだおばあさんとは再会していないが、そのうちお見舞いに行こうと思う。
どんな農機具を使っていてどんな状況で怪我をし、発見当時は既に見当たらなかった機械の行方等々、訊きたいことは山ほどあるから。



2005/10/27
アルピーヌの仕事は勿論、区の行事やその関係の仕事が立て込んでいて、なかなか走りに行けなかったが、10月12日と13日、それに21日には少しは手応えを感じる位走ることが出来た。

MCは昨年のSRX購入でいきなり使用頻度が少なくなって、年間コンスタントに1万キロを越えていたのに、今年はまだ3千5百キロ程度しか走っていないR1100Sを使った。


12日:
白馬ー松代ー真田町ーつまごいパノラマラインー榛名湖ー妙義山ー佐久ー佐久穂(八千穂)−麦草峠ービーナスラインー松本市ー白馬
約560Km

妙義山駐車場


麦草峠
陽が短い秋は、晴れているとコントラストが強すぎて走りにくいと思うのは贅沢というものだが、それにしても眩しい。



ビーナスライン/八島湿原


13日:
白馬ー梓川村ー奈川村ー野麦峠ー高山ー開田高原ー木曽ー奈川村ー梓川村ー白馬
約370Km

野麦峠
例年なら乗り鞍岳は冠雪していたような気がするが、今年はまだ。


JR白馬駅東側
白馬三山のシルエットはいつ見ても感動的だ。つくづく白馬村に暮らしていて良かったと思うひと時。


21日:
白馬ー塩尻ー岡谷ー諏訪ー(R152)−高遠ー天竜村ー売木村ー阿智村ー妻籠宿ー山口村ー下呂ー高山ー野麦峠ー奈川村ー梓川村ー白馬
約550Km

大鹿村/地蔵峠
R152はタフだけど面白い道だ。一体いくつ越えたのか覚えられない位峠のテンコ盛り(^^)。オマケに途中で国道がちょん切れていたりして味わい深いものがある。だから毎年一度以上は必ず走りに来る。


天竜村
国道と言うには狭すぎる感じがするが、これもまた趣があって楽しい。

3日で1480Kmはまだまだ物足りないが、峠や狭隘な道で低速走行を強いられた割には走った方だと思う。
それにしても今年は走れなかった。昨年R1100Sは購入以来6年目で7万キロを越え、毎年万の位が1つずつ増えていたのに、今年は漸く77000Km。
このまま冬に突入するかと思うと、何かやり残したみたいでなんとなく中途半端な気分。

幸いまだ暖かい日が続いているから(スキー宿のオヤジがそんなこと言ってちゃいけないんですけどね^^)もう暫くは乗れると思う。


2005/09/14
今年はヤボ用の係りになってしまったから、MCに乗れる機会が少なくなるとは覚悟していたものの、これ程までに乗れなくなるとは想像もしていなかった。

例年なら暇を見つけてはショートツーリングに出掛けていたのに、何かと気忙しくてそういう走り方は出来なかった。
勿論宿の仕事もあるから、たったの半日でさえままならない。そして気がついたら既に9月も中旬・・・・もう秋ジャン(・・;。
雪が降り塩が撒かれるまで、イイトコ後2ヶ月位しか無い。なんとなくアセル。

とは言っても北海道も行けたし、クマツーで伊豆にも行けたからヨシとしなければいけないのだが、それにしても今まではごく当たり前に4〜700Kmの日帰りツーリングを繰り返していたことからすると、今年は殆ど走ったという実感が無い。

そんな折り、RC30クラブの怪鳥宮崎氏に誘われて、ビーナスラインとつまごいパノラマラインと志賀草津道路をまとめて走って来た。
このルートはボクサージャーナルVol.20の「日本全国とっておきの道」に紹介したルート+ビーナスライン。

怪鳥とは小淵沢ICで9時に待ち合わせたのだが、家を6時頃出発したのは高速を使わず、久々に甲州街道を走ってみたかったからだ。懐かしかったな〜・・・・。

8時30分に到着したら怪鳥は既に待っていて、8時には着いていたとのこと。早速八ヶ岳山麓の鉢巻道路を原村を通って白樺湖に向かう。
ビーナスラインは土曜日にもかかわらず空いていて走りやすい。

先日R1100Sのタンクにビデオカメラを取り付けられるようにして、走行中の様子を撮影出来るようにした。
で、一応写るものの年代物のビデオだけに重くて大きいせいか、ボクサーの振動をモロに喰らって思いっ切りブレてしまった。もっとしっかり固定すればいいのだろうが、この重いビデオでは振動を無くすことは無駄な努力に思えて諦めていた。

ところが近所のホームセンターで偶然見つけたデジタルビデオの小ささと安さに思わず衝動買い。デジカメより安いってドーユーこと?。年代物のビデオの1/4以下の値段には正直言って驚く、そして驚くのはまだ早かったのだ。

今年62歳の怪鳥(ロックスター)の走りを収めるべく、タンクにはCanonFVM100をセットしていたのは言うまでも無い(^^)
初おろしのカメラがどのように写るかはテスト無しだったし、ベラボーな安さからあまり期待はしていなかったのだが、ドッコイその写り具合は驚異的に良好だった。

以下の写真は全て動画の一部、しかも画質はオリジナルの1/4。

霧が峰


ビーナスライン


ビーナスライン


ビーナスライン


つまごいパノラマライン


つまごいパノラマライン


つまごいパノラマライン


年代物のビデオカメラ(白馬村オリンピック道路)

本当に久し振りに走った444Kmは満足!の一言。
それもそのはず、全部ハイライトばかり集めたイイトコ取りのルートだったし、病気から快復した怪鳥のライディングも絶好調を取り戻していたし、戸隠でドシャ降りに見舞われたにしても殆ど秋晴れの空の下を走れたし、道は空いていたし・・・・・。

でも・・・・2輪車ではナント!生まれて初めてパンクを経験した。
40年もMCに乗っているのに走行中のパンクは初めてだったから、トラブルなのに何だか愉快な気分になってしまったのが可笑しい。

湯田中で昼食の後に怪鳥が発見してくれて、すぐ近くのGSのピットを借りて修理した。
炎天下の道端で作業を始めようとしたら、親切なGSのお兄さんが「ピット使って下さい」と、ありがたい言葉を掛けてくれたのだ。
日陰に入れただけでも嬉しかった。

こういう時にBMWはパンク修理キットが標準装備だからありがたい。簡単なツールにもかかわらず修理作業はサクサクと終了。エアが貰えたのでガスボンベは使わなかった。

よく出来たMCだと感じていても、何かと価格に見合わないんじゃないかと、つい辛口になってしまいがちなBMWだが、やっぱこういうちょっとした配慮がイザという時には泣かせてくれる。
たまたま街中だったから良かったものの、これがもし往くも帰るも50Kmもある北海道の山奥だったら、その有り難味はハンパじゃ無いだろう。





2005/05/13
ショートツーリングとBMWK1200S試乗。

今年は地区の某係りがまわってきたのでその仕事が最優先になり、勿論宿の仕事もあるから、今までの様に気楽にMCで出掛けることが出来なくなった。で、先日その隙間を縫ってビーナスラインを走ってきた。

いつもの県道を使って信州新町から更埴市、聖高原、青木峠、丸子町を通って武石村から美ヶ原高原美術館に登った。


麓では桜も終わり、新緑は既にその濃さを増していたのだが、此処は未だ冬枯れた様子で寒かった(5月9日)。

ビーナスラインは観光シーズンにはまだ間があるので、車も少なく快適に走れた。
昨年の秋に新調した前後マカダム100Xは、それまでの前マカダム100X、後パイロットロードの完全ニュートラルハンドリングの絶妙な組み合わせに比べ、若干グラッと倒れこむ感じはあるものの、冷えた路面でもグリップに不安を感じないで走れると言う点で、このSには良く合っていると思った。

それにしても、7万キロをプロのメカニックの手に委ねることなく、素人のメインテナンスだけで好調を保っているBMWには改めて感心する。
この年数と距離を走れば、ちょっとした4輪車でもかなりヤレた雰囲気を醸し出すのに、それが無いのは自分の手入れが良い(^^)と言うことを差し引いても良く出来ていると思う。

勿論それだけでは無く、モーターサイクルライディングの楽しさの一つでもある操る実感も充実していて、だからこそ無駄にガソリンを使って意味も無く走り回りたくなってしまうのだが、時々この「意味」って一体何だろうと考えることがある。

R1100SやRC30のライディングに没頭している時間が、はたして人生にとって何の意味があるのか、あるいは無いのか、それ以上に意味のある時間って何だろうと、哲学的な(笑)雰囲気に包まれかけた時に、霧が峰の三叉路に突き当たった。

この先何処に行くあても無かったので、右折して諏訪に下りた。
と言うのは、BMWの新型が沢山リリースされたことでもあるし、久し振りに塩尻のディーラーに寄ってその現物を見てみようと思ったからだ。

RSの時もそうだったけれど、お店にはR1100Sを購入以来何かと相談に乗ってくれているセールスの原さんが居て、新しいK1200Sの試乗を勧めてくれた。

奇抜・・・と言うより、正直言って変テコなデザインの新型モデルの中にあって、K1200Sは見慣れた国産車のスーパースポーツに近いものだ。
試乗の諸々に関する書類にサインし、簡単なレクチャーを受けた後、早速塩尻峠に向かって走り出した。

このK1200Sには独特な方式のフロントサスが採用されていて、従来の2輪車とはまるっきり異なる方式、4輪で言えばダブルウイッシュボーンの車軸を90°横向きにして取り付けたようなシステムが考案採用されている。

所謂テレスコピック方式を見慣れた目からはかなりの違和感があるのだが、これはこれでとても合理的で説得力ある仕組みだと思った。
そしてそれがどんな走りっぷりを示すのか大いに興味があったのだが、走行中のいかなる状況に於いても、その特殊さをアピールする事無く、拍子抜けするほどオーソドックスなものだった。

ただ、メーターパネルとトップブリッジ間の隙間から、ステアリングリンク?のジョイント部分がせわしなく上下しているのが見えることで、このMCが特殊な仕掛を装備していることを理解する。

で・・・・塩尻峠のどちらかと言えば中高速コーナーを、タイヤが新品だったということもあり欲求不満が残る速度だったが、でも一応リヤタイヤのトレッドエンドまで使い切る程度には走ってみた。

短距離短時間の試乗だったから、もしかしたら見当違いかもしれないが、その印象はBMWということ抜きで、「最新のモーターサイクルはここまで凄いことになっていたのか!」と、その進化に唖然とした・・・と言うのが正直な感想。

跨った瞬間のシックリ納まる感じは、自分の身体を採寸してオーダーメイドしても、こんなにピッタリ造るのは難しいだろうと思うくらいで、それは例えばハンドルが近いとか遠いとか、あるいは垂れ角とか前傾とか云々をいちいちチェックする間も無い程いきなり馴染んだ。
「大き過ぎず小さ過ぎず、完璧なサイズのMCとは、そしてそのライディングポジションとはこういうものだったのか」と、ひたすら納得するしかなかった。

勿論シックリ来るなどと言うレベルは遥かに超えていて、このまま高速道路に乗って九州まで一気に走り切りたい衝動に駆られた程だ。

エンジンも、出力特性や味や気筒数やレイアウトやパワーがどうした?なんていう次元では語れない不思議な力強さだったし、カウルに納まっているパワープラントは、もはやレシプロだろうとロータリーだろうと、或いはジェットだろうと電気モーターだろうと、或いは外燃機関であろうと、そんなものはこのK1200Sを走らせる上で大した意味は持たないんだろうと思える程の「異次元異質のパワー」を湛えているような気がした。

実際レシプロという前知識が無くて、「これはジェットエンジンです」とか「モーターです」とか言われても恐らく分からないだろうし、そして、凄いパワーと意志に直結したレスポンスは確かに感じることが出来ても、それが単純にパワープラントのみを制御しているとは思えない程、このMCの隅々までパワーが漲っていて、それが車体全体から発散されるかのようだ。

ハンドリングは少々大袈裟な記述のR/C誌に書かれているのが納得出来る程凄いとは思えないし、極低速時のちょっとした違和感(ハンドルとタイヤの動きに若干のタイムラグがあるか?)とで、取り立てて驚く程では無いが、しかし個人的には60〜100Km/h位で回れるコーナーに限って言えば、めいっぱい頑張るR1100Sに比べ、大体5Km/h位は高い速度で旋回出来るのでは?と思った。逆に言えば同じ速度なら安全マージンは当然高くなる。

ブレーキは効き始め(効かせ始め)に「コツン」というショックがあって、しかもリニアリティーに欠けるから、これには最後まで馴染めなかった。
しかしブラインドコーナーを自分的(バカ)にはフルバンクのつもり(^^;で曲がっていて、立ち上がりかけた時に渋滞の最後尾が現れ、図らずも早々にパニックブレーキングを経験してしまったが、この時は車体を充分引き起こせずに斜めのままだったにもかかわらず、それこそ物凄い減速Gが発生して追突を免れた。このブレーキシステムはいかなる時も驚異的なストッピングパワーを発揮してくれるものと思う。

言い古されたフレーズだが、もし今MCを1台だけ所有しようとするのであれば、そしてその為に250万円を準備出来るのであれば、このK1200Sの選択は、愉快でより安全なモーターサイクルライフを過ごす為の頼れる道具と言う意味においては正解だと思う。

長距離の連続高速走行、それも中国自動車道のワインディングを、このK1200Sで走ることを想像しただけで、旅支度を始めたくなると言うものだ。

但し、操ることの愉悦と言う点でRC30は別格としても、R1100Sの勝ち!

2005/04/18
能登半島の突端禄剛崎まで日帰りで行って来た。
そこまではRC30で訪れて以来12年振りだったから、やはり懐かしかった。

R148→糸魚川市→北陸道→小杉IC→R415新湊市→氷見市→羽咋市→能登有料道路→穴水町→輪島市→R249→木ノ浦→禄剛崎→輪島→穴水→能登有料道路→羽咋市→R415氷見市→R160高岡市→R8富山市→R41飛騨中山→R360河合村→R41高山市→R158梓川村→サラダ街道→大町市→R148白馬村。

7時30分出発、7時30分帰宅
走行距離725Km
ガソリン39L

久々のロングツーリングが楽しかったのは当然としても、ルートにあたる道路やその周辺が、以前走った時に比べ随分整備が進んでいて、記憶に残っている景色は断片的に現れる程度だった。

能登半島最先端、禄剛崎辺り。

12年前との整合性はなかなか取れなかったが、それでも時折強く印象に残っていた景色が現れると、その当時の様々な想い出が蘇ってくるから不思議だ。

昨年の秋以来出先では給油していなかったから、帰りに寄った穴水のGSではハイオクの値段に驚いてしまい、思わず「レギュラー満タン!」と口走ってしまった。
R1100Sにレギュラーガソリンを入れるなんて初めてだったから、ビッグボア、それも圧縮比11以上の空冷とくれば、ただでさえノッキングが心配なのに、ハイオク給油を躊躇させるガソリンの高騰は痛い。

その後スロットルワークは超丁寧になったのは言うまでもないし、そうして走る分には問題は発生しなかったから心配は杞憂だったか?。ところが・・・・・(;;)

R8に合流すると交通量が増え、その片側二車線を有効に使って走るとなると、スロットルの開閉も必然的に速く大きくなると言うもの、はたして盛大なノッキングが発生した。やはり無理だったのだ。
「カラカラ」というような平和なものとは違い、まるでタガネをシリンダーヘッドに叩き込んでいるような「キンキンッ」とした今にも壊れそうな嫌な音だ。デトネーションの教科書的音を勉強した気分(^^)

ハイオク指定にレギュラーはまずいんじゃないのか?と漠然とメーカーの言いつけを守っていたし、ガソリンをケチって高価なMCを壊すなんてバカバカしいから、レギュラーを入れるとどうなるのか?なんて実験は一度もしたことが無かった。

しかし、心情的にはフトコロに優しいという点で、問題が無ければレギュラーを使いたいところなのだが、今回のことでやはりハイオクは必須だったということが分かって納得できた。

そしてこの納得には2つの意味があって、一つは調子良く走る上で、もう一つは今までR1100Sに使った約4000Lのハイオクガソリンが無駄では無かったということで(^^)。
高山でハイオクを入れるとウソのようにノッキングは治まった。

桜は丁度満開だったり、未だこれからだったりで、盛りは過ぎていなかったから充分楽しめた。

狼煙海岸辺り。以前来た時はトンネルは無く、今はパーキングスペースとなっているこの旧道を走った。

富山から高山までは、途中から神通川の支流小鳥川沿いのR360を走ったのだが、国道は勿論JR高山本線がズタズタに寸断されていて、「これは昨年の大雨の被害なんだ」と理解するまで少し時間がかかった。

水位は10m以上にも達したのではないかと思われ、もし現場に居合わせたら恐怖で腰が抜けたかもしれない。河川沿いの被害は高山市まで続いていた。

R360の迂回路から見える寸断されたR360とJR高山本線。至る所こんな状態。もう言葉を失う。

高山からは暗くなりかけたいつものR158を梓川村に向けてひた走るものの、平湯付近はまだ残雪がたっぷりあって寒いし、オマケに天気予報がハズレて雨まで降ってきたから、雨具不携帯のジャケットはびしょ濡れ。最後で泣きがはいった。

凍えた身体にアルピーヌの掛け流し温泉はまさに極楽(^^)。

久々に700Kmを超える日帰りツーリングを満喫した。
昨年までは休憩時の喫煙が楽しみで走っていたフシもあったので、その喫煙習慣が休憩時にどういう心理状態になるのか心配だったが、驚くほど違和感無く休憩できた。

一人だし、喫煙しないから休憩は短時間で済ませられ、且つ整備が進んだ道路は労せずして距離を稼げるから、15年ほど前RC30で来た時と比べ、大体同じルートを辿ったにもかかわらず、約4時間も少なかった。
当時は朝3時発夜9時帰宅なんて日帰りツーリングはしょっちゅうだったから、12時間走った位で満足しちゃうとは随分ヤキがまわったものだ。

修理したピボット部分は全く弛む気配が無く、中強度のロックタイトでも今の所ゼッコーチョー。



2005/04/02
残雪の中初乗り。
先ずSRX、続いてR1100S、やっぱりモーターサイクルはいいな〜。
暗くなるまで走りたかったのだが、塩気タップリの道路は精神衛生上もマシンにも好ましくないので、1時間位で切り上げた。

リヤホイールドライブのピボットにガタの出たR1100Sは、昨年暮れに一応修理したのだが、その際ピボットボルトにロックタイトは塗布していなかった。
もし弛めばその時点で塗ればいいし、塗布する前に一度走ってみて、その後ガタが出ないことを確認してからでも遅くはないと思っていた。

帰宅して確認すると、ピボットボルトやナットの弛みは皆無で、勿論ガタは全く問題ないレベル、もう一度バラして今度はロックタイトを塗布することにしよう。

八方に向かうオリンピック道路(4/2)。3月上旬の間違いじゃないか?と思ってしまう程、道路以外は一面銀世界。

田圃の積雪は1m前後(4/2)。

昨年秋に購入したSRXは確かに面白くて楽しいいのだが、続けてR1100Sに乗ると、パワーや回り方は当然として、その圧倒的な上質感には素直に驚く。なんとなく「サスガBMW」と思ってしまうあたりが悲しい(^^)。でもRC30と交互に乗っている時はそんな印象は無かったから、やはりSRXは特殊なポジションのMCなのかもしれない。

2005/04/01
4月に入ったと言うのに、例年にない多量の残雪と、つい先週も40cm異常以上の降雪があったり、少量ながら昨日も雪が降って、とてもMCを乗り回す気分になれない。


アルピーヌの駐車場は屋根から落ちた雪が未だテンコモリ(4/1)

道路脇の残雪から流れ出る水が路面を濡らしているのは仕方ないとしても、気温が低くてこの時期でも塩が撒かれていたり、凍結している場所もあるから安心して走れない・・・ということは、スキーには今がゼッコーチョーということでもあり、ヤボ用がなければ滑りに行くところ(;;)

今年は残雪もテンコモリならヤボ用もテンコモリになりそうなイヤな予感。走る時間が制限されそうだ。
1年で1万キロ以上コンスタントに走り続け、昨年6年目で72000Kmに達したBMWR1100Sも、今年8万キロを超えられるかどうかはSRXの参入もあって微妙なところ。

今年もMC仲間やお客様と、愉快で充実した時間を過ごせたらいいなと思う。勿論無事故で。