中国ツーリング

8月の東北ツーリングに続き、中国ツーリングに行って来た。
東北と同様、今回もホサカ氏(ZRX1200)がお付き合いしてくれた。

ツーリングの最大の目的は山口県の西端近くに位置する角島と、そこに架かる角島大橋と海を見る為・・・・・・と言うか理由は何でもいいのだが、17年前まだ30代だった頃、九州2泊3日のソロツーリングをした折りに使った中国自動車道を、いつか再びサンマルで走りたいと思っていたし、27日にステムベアリングを交換したサンマルは絶好調を取り戻していたから、とにかく長時間RC30に乗っていたかったのだ(^^)。

出発前日の台風が心配だったが、10月1日の角島は台風一過の澄んだ空の下、想像を遥かに超える光景で我々を迎えてくれたのだった。


9月30日
台風の影響からか時々強く降る雨の中、6時30分ホサカ氏との待ち合わせ場所、中央道辰野パーキングエリアに向けて走り出す。
約束は8時30分だったのだが、8時に到着した時は既にホサカ氏は待っていてくれた。休憩の後一路西に向かった。

例によって高速は120Km/h程度と泣きを入れていたのだが、いきなりぬうわKm/h以上で巡航が始まった(汗)。
今日明るいうちに山口県に辿り着くとなるとこの位の速度は仕方ないのかもしれない。

最初の給油は梓川SAで済ませており、2度目は名神高速養老SAだった。ここでレインウエアーを脱ぐ。
レシートには時間が記載されていて、給油から給油までの走行時間が分かるから便利だ。
養老は10:26。

混雑を覚悟していた京都から吹田付近も流れはスムーズで、あっけなく中国自動車道に乗ることができた。
西宮を過ぎる頃には走行車両もめっきり減り、快適なクルージングが出来るから、ZRXはさらに巡航速度を上げ、快調に私を引っぱっていってくれる。

休憩は給油毎大体210Km前後で摂るのだが、この210Kmというのは丁度RC30のタンクがリザーブに切り替わる距離。
高速道路と言えど普段常識的(120Km/h前後)な速度で走っている時は滅多に20Km/Lを下回らないRC30が、今回は15〜16Km/Lと、とても悪い燃費を記録したことから、如何にアベレージが高いかを物語っている。

マフラーエンドの煤は常識的な中低速走行では殆ど付着しないのに、今回は腰が抜けそう(^^)な位の量が付着していた。
スロットル開度1/2以上の領域では燃調が濃すぎるようだ。メインジェットを2番位落としてみるのも手だが、迂闊に薄くしてパワーダウンしたり、ピストンが融けたりしたら元も子もないから思案のし所。

ちなみにZRXは19Km/L前後だったと思う。


3度目の給油は加西SA(12;54) Photo by Mr,Hosaka

軽く昼食を済ませ、再び走り始める。
本当に久し振りに走った中国道は17年前と比べ随分変った印象だった。
先ず路面状態が非常に良好なのと、交通量、特に大型トラックがとても少なくなっていたこと。
これは山陽道が開通した影響なのだと思うが、初めてこの道を走った時はトラックの多さと空気の汚さ、路面の悪さに閉口したものだ、それにネズミ捕り。今でも覚えているが、九州に入るまで何と6箇所で行われていた。

まばらにしか車のいない連続高速ワインディングは、新品のパイロットスポーツがトレッドエンドまで融けてしまう程で、楽しくて時が経つのを忘れそうになる。
実際突然吹けなくなって燃料切れを知るのだが、トリップメーターを見ると200Kmを超えていて、かなり走ったのだと理解する始末。

初めてここを走った時のサンマルはまだ数千キロでしかなかったし、自分も慣れていなかったから随分大人しく走っていたが、17年の時を経てもなお何の不安もよどみも無く、レッドゾーン(12500rpm)までスカッと吹け切るエンジンと、よれる感じなど微塵も無い抜群の車体。
剛性が高過ぎるという人もいるが、この位カッチリしていないと高速コーナーは怖いと思う。

今回9万キロを目前にしてようやく耐久レーサーのベースマシン、「アールシーサンマル」をサンマルらしく走らせているように思うし、遅ればせながらその真髄に触れたような気がする。
モーターサイクルにこれ以上一体何を望むのだろうか?、改めてRC30とこれを創った技術者に感謝する。

4度目の給油は七塚原SA(14:37)
此処は給油だけで即出発し次の安佐SAで休憩する。

高速道路とは云え、コーナーがある以上頻繁にスロットルの開閉はある訳で、その際にもキャブレター式の良さをつくづく実感した次第。
キャブレターならではの右手の動きに直結した滑らかな加減速は、MCとの一体感をよりいっそう高めてくれるから、例え微妙な違いであっても、インジェクション式のギクシャクしたレスポンスに慣れていた体にはことさら新鮮に感じる。

クラウチングポジションのMCにもかかわらず嫌な疲労を感じさせないし、長時間走っていると飽きてしまい、走る意味を見失いそうになるMCもある中で、純粋に走る悦びだけを提供してくれるのにも驚く。

程よい車格と程よい車重、程よいパワーと程よいレスポンス・・・・だけでは無い何が一体この抜群のウエルバランスを醸し出しているのだろう?。

ドイツ製MCでも一日の走行距離が1000Kmに及ぶとなると、目的地まで「あと150Kmもあるのか」と思うことがあるのに、サンマルでは「もう150Kmしかないのか」となる。

中国自動車道・・・と言うより高速道路は見るべき景色が少ないから、普段のツーリングではあまり使いたくはないのだが、今日は全く退屈しない。


5度目の中国道最後の給油は美東SA(16:37);ホサカ氏

約2時間毎に30分前後の休憩を摂っている勘定になるのだが、その時間を加えてもアベレージは100Km/h程度を維持しているから、ペースとしては速い方だと思う。

17年前の想い出を辿るように走った中国道は、その間サンマルと過ごしてきた様々な記憶を蘇らせるに充分な距離だった。
17年といえば13歳の中学生が30歳になる年月だ。
中学生の時を思い返してみれば、30歳という年齢は実感の湧かない気の遠くなるような場所にあった。
その17年を過ぎ、当時とちっとも変らない元気なサンマルに比べ、自分はというと加齢と共に老いを自覚するようになったこともあり、妙に感傷的になっていた。

そんな気分を知ってか知らずか、ラストスパートなのか、ZRXが言語道断の速度で走り始めた。
今までだって言語道断と云えなくも無い(笑)が、美祢ICまでは更にスロットル開度が大きくなり、最後のワインディングを思い切り愉しんだ。
あの(^^)コーナーを6速9500rpmといった所か?(・・;


美祢ICを降りた時は未だ5時前だったから、随分早く到着したものだと思う
西に来ただけに日没は遅い。充分明るい中を秋吉台に登る。久し振りに常識的な速度で楽しめるワインディングを走れたし、低速でもRC30は抜群のハンドリングを披露してくれた。


羊の大群のように見えるカルスト台地「秋吉台」。17年前の九州ツーリングの帰りにもここを訪れたのだが、当時とちっとも変わっていなかった。

時間は5時30分を過ぎていたので、ホサカ氏と今日の宿を何処にするか相談し、とり合えず長門市でビジネスホテルを探すことにした。

それにしても早かったものだ。
途中3台の覆面に遭遇し、一台の後を延々と追従して(それでも110Km/h程度)アベレージが低下したにもかかわらず、一人だったらとてもこんな時間には到着出来なかったと思うと、やはりホサカZRX恐るべし。

市内で物色したものの適当な宿が見つからない為、ホサカ氏の同業者である長門市役所に乱入した。
時間外にもかかわらず、職員の皆さんは快く応対してくれて無事今夜の宿が確保出来た。
ビジネスホテルにはめずらしいアットホームで親切な接客は、それだけで長旅の緊張感が消えて行くようだ。

夕食は近所の和風ファミレスに行ったのだが、ここでも心地良い接客と美味しい食事に出会うことが出来た。
道を尋ねた時のお姉さんも親切だったし、朝登校する小学生も、怪げな格好をした我々に明るく挨拶して行ったのには感心した。
長門市は人の優しさに満たされているように感じたのは旅情のなせる業か?。

本日の走行距離:1027Km

10月1日

昨夜は11時頃就寝したのだが、6:30にセットした目覚まし時計のお世話にならずに6時には目覚めた。
昨日12時間もMCに乗っていたにもかかわらず、疲労を全く持ち越していないのに自分でも驚く。身体は絶好調!。

カーテンを開けると空は抜ける様な青さだ。まさに雲ひとつ無い秋晴れとはこのことだろう。朝日が隣のビルに反射して眩しい。
7時半からの朝食が待ち遠しく、そそくさとMCを引っ張り出しに行ったら、既にホサカさんは出発準備に余念が無かった。
昨日は滅多に6速8000rpmを下回らないような連続高速走行だっただけに、各部を念入りにチェックしていると朝食の時間になった。

昨夜に引き続き、これまた美味しい朝食を頂いて8時には角島に向けて走り出した。
先導は勿論ホサカさん。
自分にはとても真似の出来ない速度で走ってくれるから、後に従って行くだけの私は余計な神経も使わず、労せずして距離を稼げる。
それにしてもホサカさんは異常に速い(・・;
角島までは35Km位あったと思うのだが、30分も掛からずに角島大橋に到着した。


「息を呑む」あるいは「目を見張る」とはこのことか?


高画質でUP出来ないのが残念!。

にわかにはこの海が日本海であることが信じられなかった。南国の、それも赤道付近の島ではないかと思った程だ。
真っ白い砂浜、渚からは遠浅のヒスイ色を経て、やがてコバルトブルーに変る海上を伸びる品の良い橋。

明石海峡大橋や瀬戸大橋の、瞬間「凄い!」と思うただ大きいだけの橋とは訳が違う。周辺自然環境との見事な調和は、人工工作物としては抜群のセンスだと思う。途中の小島を迂回するところなど心憎いばかりだ。


こんなに綺麗な海を見たのは「天国に一番近い島イルデパン」以来か。

角島に一体何人の住民が暮らしているのかは知らないし、殆ど通行車両の無い小さな島に、莫大な税金を投入してこんな橋を造る必要があるのか?なんてことは、もうどっちでも良いと思える程角島大橋は衝撃的だった。


本当は島を一周したり砂浜でのんびりしたかった。
「絶対もう一度訪れる。その時はこの島で一日を過ごすのだ」と心に誓い、後ろ髪を引かれる思いで角島を後にした。

再び長門市に向って走り始めるも心残りで仕方が無い。
ホサカさんは相変わらずハイペースで引っぱってくれる。長門市通過は10時だったから、今日は何処まで行けるのか見当もつかないが、兵庫県の竹野町にある「休暇村竹野海岸」を暫定目的地と決めてR191をひたすら東に向かう。

昼食は1時頃江津市で食べた。余程注意深く観察していても見落としそうな小汚い(笑)小さな食堂に入ったのだが、一旦通り過ぎた後Uターンするホサカさんに続く。

ホサカさんの美味しそうな店を嗅ぎ分ける能力はスゴイ!。バシバシこだわっているらしいオヤヂが出してくれた刺身定食は絶品だった。
カンパチだかなんだか魚に疎い自分には分からないが、数種類の刺身のどれもがあまりの弾力で、咬んでも歯が跳ね返されそうになったのには驚いた(^^)。

R191は比較的快適に走られたが、R9に合流した途端いきなり交通量が増え、渋滞にはまりながらも何とか米子付近に辿り着いた。
時間は4時を過ぎていたが、このぶんだと「休暇村竹野海岸」に宿を取ることができるカモ?ということで、そこにホサカさんが予約してくれた。

宿の人の話では米子から2時間程度ということだったが、200Km以上ある一般道を2時間というのはどう考えても無理というもの。
鳥取砂丘までの渋滞やR178の香住海岸や竹野海岸のワインディング、それにナイトランは必至だから、最低でも4時間は掛かる筈だ。
夕食は9時までだそうだから、何としても8時30分には着きたい。最悪コンビニ弁当でも良いのだが、折角の旅行だから食事は宿でゆっくり摂りたい。

「宿でナマ中」が次第に頭の中で点滅し始めたホサカさん(^^)は、これまでにも増してペースを上げ、怒涛の追い越しすり抜け敢行・・・・は良いのだが、ナント!覆面までパスして行ってしまった(・・;

あっけにとられたオマワリさんは渋滞で、しかも対向車が途切れる間も無いから追尾も出来なかったのだろう、諦めて見送っていたみたいだ。
だからと言って私はすり抜ける度胸など持ち合わせていないから、大人しく覆面の後をついていくしかなかったが、暫く走ると脇道に入って行った。

ホサカさんに追いつくべく前走車をパスして行くのだが、なかなかZRXは見えない。自分だって相当なペースで走っているのに、一体どれ程離されてしまったのだろう。

何とか追いついてホッとしたのもつかの間、鳥取手前の広いバイパスでは昨日の中国道さながらのペースで走るではないか(泣)。ホサカさんの根性には感心してしまう。

鳥取市はもうドップリと闇に包まれ、これから始まるワインディングが心配になるが、R178に入った途端車は少なくなり、とても走り易い。ただ路面状況、特に砂の有無が分からないのでコーナーは慎重に回る。

絶景のワインディングは闇の中で残念だったが、17年前を想い出しながら走っていると、あの頃が無性に懐かしく・・・・・どうも感傷的になって「イカンイカン」と思っているうちに「休暇村竹野海岸」に到着した。

時刻は7時半にはなっていなかった・・・・・ん??。
あの渋滞と給油休憩を含めてもアベレージ60Km/hヂャないか。オイオイ(汗)

食堂のオーダーストップは8時だそうで、荷物を部屋に運んだ後「ナマ中点滅」から「ナマ中点灯」に変ったホサカさんと共に食堂に直行する。
美味しいビールと美味しい食事、何より今日一日の感想を語り合うことが一番楽しい。
二人だけでも大いに盛り上がりながら「休暇村竹野海岸」の夜は更けていくのだった。

本日の走行距離:548Km

10月2日
6時起床?
本能的に窓の外を見ると、曇ってはいるが、雨の心配は無さそうだ。
気持ちの良い朝風呂を楽しみ、美味しい朝食を頂いた後、ホサカ氏と二人でロビーから続くバルコニーに出て、竹野海岸を眼下に望みながら「マッタリ」とした時間を過ごす・・・・つもりが、今日も500Km以上走るかと思うとソワソワと落ち着かない。

サンマルだと走行距離や時間は気にならないものの、あまりゆっくりしていると暗くなって折角の景色が楽しめないから、例によってそそくさと出発準備に取り掛かる。



ん!?
雨粒が落ちてきたじゃないか。
空を見上げると雲行きが怪しい。酷くならないことを願うばかりだ。

サンマルは今日も絶好調。一発で目覚め、安定したアイドリングを保っている。それに初日のような走り方をしなかった昨日は燃費も22Km/L前後と良好で、ZRXに匹敵する。

宿を出るとタイトで走り応えのあるワインディングが久美浜まで続く。景色も良好だ。
R312、R178、とそこそこ楽しめる国道を、例によってホサカ氏の速いペースについて行くと、とうとう宮津辺りで雨が降り出した。

ジャケットは一応ゴアテックスなので、レインウエアーはパンツだけ穿く。
その後幸いなことに雨はさほど酷くならず、降ったり止んだりを繰り返している。R27に入るとはやはり交通量が増えたものの、流れはそこそこで走り易い。

舞鶴港に軍用艦が多数停泊しているサマは不気味でもあり、又日頃平和ボケをかましている自分にとって、守られているという実感を具体的な形で示された気がする。この軍備が演習以外で使われないことを望むばかりだ。

昨日までMCを目にすることはあまり無かったのだが、この辺りから増え始め、諮らずもアメリカン、族仕様、レプリカ入り混じっての賑やかな集団が出来つつあり、今日が土曜日であることを知る。
ホサカ氏はこの「マッタリ」と走る集団を嫌ってか、早々に抜け出した。勿論自分も後に続く。

敦賀からは越前海岸を走り、加賀から北陸自動車道の予定だったのだが、ホサカ氏提案の福井県を突っ切り、岐阜県の白鳥町高山市に抜けるルートに乗る。

武生から県道を走り、R417からR476を大野市に向かう途中、前回何度目かの台風で被害を受けた村を通過した。
ここが酷い災害を被っているとは知らなかったから、尋常でない雰囲気は何なのだろう?と思いながら走っていると、川沿いに建つ民家がまさに軒並み水没あるいは流出の被害を受けていた。

河床も充分低く、穏やかな流れを見せている幅50m程の川からは、付近一帯を水没させる程の水が溢れたとはとても想像出来ない。
しかし川岸に生えている大きな木の梢には、流れてきたゴミや小枝が引っかかっており、その水位を示している。

半世紀以上も平穏に時を過ごしてきたと思われる建物も被害を受けていたから、この周辺の住民にとって今回の水害は信じられない規模のものだったのだろう。

川から国道を隔てた左側の杉の植林地帯も、土砂こそ流れてはいなかったが、その根元の潅木や雑草は大量の水で押しつぶされたようになっていた。

川が盛り上がり、山からは稜線にある巨大なプールが一気に崩壊したような水が襲ってきた時の心境は想像もできない。
被災者の心情は察するに余りあるし、とても写真など撮る気にはならない。この地区に早期の復興と平穏な暮らしが訪れることを祈るばかりだ。

再び狭隘でウエットコンディションの峠道を登る。ドロが流れ出ていて神経を使うが、ハンドリングが正常になったRC30は、多少のスリップでふらついても容易にリカバリー出来るから、むしろこの悪コンディションを遊んでしまえる程だ。
ホサカ氏は私が悪戦苦闘していると思っていたみたいだが、全く反対でスローペースなりにとても楽しい峠越えだった。

峠の頂上からは大野市が眼下に見渡せたが、幾重にも重なった小高い山々の中腹を覆う霧は「もののけ姫」の雰囲気を醸し出していた。下から湧き上がる霧で視界が悪化したので、小休止の後出発。

大野市からは今までとはうって変わった極上のR158を白鳥町に向かう。道路は全線ウエットなのが残念だが、九頭竜湖付近はいつかドライの時にもう一度走りに来たいと思わせた。

白鳥のコンビニで「マッタリ」と休憩する。自宅までは後200Km以上ある筈なのに、そしてシトシトと降る雨と夕闇が迫っているというのに「何だ?この余裕は」と不思議な気分になる。

きっと身近な岐阜県まで辿り着いたという安心感と、これからは走り慣れた道であることや、全く疲労を覚えないRC30がそういう気分にさせたのだろう。
しかし昨日は本州最西端の快晴の夏の海に居たかと思うと、今日はもう冷たい雨が降る初冬を思わせる山の中だ。
随分走ったものだ、そして日本の気候の多様さや土地々の風土、そこに流れている時間さえ文字通り肌身で感じることが出来る気がして、MCに乗れる幸せを神に感謝したい位だ。

マッタリとした休憩の後、次第に強く降り出した雨のR158を再び高山に向けて走り出す・・・・・んがッ、ホサカ氏のペースの速いこと!、温厚な風貌からは想像出来ない程アグレッシブだし、まるでドライ路面の様な勢いでカッ飛んで行く。
出発時はZRXもRC30も同じパイロットスポーツの新品だったので、タイヤの優劣は無い、しかし根性で負けている(^^)からどんどん引き離されてしまう。やっぱウエットは苦手だワ。

高山に到着する頃はもうすっかり暗くなっており、対向車のヘッドライトがシールドの水滴に乱反射して視界が悪化する。
土曜日ということもあり、高山からのR158は混んでいるかと思ったが、肩すかしを食らったみたいに車は少なく、スイスイ走れてアッという間に梓川村に到着した。ドライでもこんなに速く走った記憶は無いので、如何にホサカZXRがバカッパヤイかが分かる。

R158とアートラインとの分かれ道にあるコンビニで最後の休憩をした。
3日間の出来事を語り合うには短か過ぎる時間だったが、又お互いの労をねぎらい、無事に帰宅することを誓ってお別れした。

2000Km以上無事だったのに、後数十キロでトラブったんじゃシャレにならないから、雨が降ったり止んだりを繰り返す中、慎重に走って8時30分無事帰宅した。

無謀とも思える計画にお付き合いして頂き、又尋常でないハイペースツーリングを経験させて頂いたホサカ氏には心から感謝している・・・・・・・恐かったケド(^^)。

本日の走行距離:557Km

総走行距離:2132Km
ガソリン:123.9L
平均燃費:17.2Km/L

一般道では平均21〜22Km/L走っていたのに、長距離ツーリングにしては燃費が悪かった。高速道路でブチ撒いたからだと思う。

ステアリングヘッドの問題が解決したRC30は長距離を走ってみても、やはり絶好調を取り戻していて、すべてのシチュエーションで最高のパフォーマンスを発揮してくれたと思う。

R1100Sから乗り換えれば、まるで逆立ち(^^)しているかと思うほどレーシーなポジションにもかかわらず、17年前北海道や九州ツーリングの一日14時間以上のライディングで感じた、嫌な疲労が皆無だったことを思い出した。

当時と違うのは、RC30を17年目にしてはじめて開発技術者の意図通りに走らせることが出来たのでは?ということだと思う。

レースに使われることを想定して造られたとしても、それは結果的に究極のオープンロードゴーイングレーサーが出来上がった訳で、必然的に耐久レーサー’86RVFのフルコピーと言われる程酷似せざるを得なかったのだろう。
そして、開発技術者の云う「RVFのクオリティーとフィロソフィー」とはこういうことだったのかと、自分なりに漸く納得出来た気がした。

「使い切れた」と思ったことは過去に一度だけあったが、今回は速度レンジが倍も違う、そして何より長時間だった。
RC30にとって、もしかしたら開けている時間が長かっただけに、耐久レースより過酷だったのかもしれない。

心ある人々からは眉をしかめられそうな速度でRC30を走らせることはもう二度と無いだろう。
RC30に対しては常に畏敬と共に渇きのようなものを感じていたが、今漸く潤った気がした。これからは穏やかなモーターサイクルライフを過ごせると素直に思える程、心底満足したツーリングだった。