1847(弘化4)年の善光寺地震では、長野市内を中心に家屋の倒壊、火災が頻発し、多
数の犠牲者が出ました。また、多くの場所でがけ崩れ(斜面崩壊)や地滑りがありました。
 中でも被害が大きかったのは、上水内郡中条村の虫倉山周辺です。当時、善光寺地震の震源
地は虫倉山付近ではないかと考えられていたほどでした。
 虫倉山は、標高1378mの山ですが、東に延びる尾根の南側の斜面はどこも急斜面となっ
ています。この一帯は新第三紀鮮新世(約520万―180万年前)に活動した火山の溶岩や
火砕流が積み重なった地層からできています。
 これより下の標高750―950mの辺りは緩い斜面が広がっていて、畑や集落になってい

す。この斜面は火山が活動する前に、海底に砂や泥がたまってできた地層です。
 虫倉山周辺での山崩れは、主に急斜面の山腹に発生しました。規模は大小さまざまですが、
特に規模が大きかったのは南側の斜面で、藤沢と太田の崩壊です。
 2つの崩壊は、溶岩が斜面にオーバーハングになっているような所で起きて、下の緩斜面に
たまり、渓谷を埋めました。
 崩落した岩塊の量は、藤沢で300万立方m、太田で260万立方mと推定されています。
崩壊した岩が堆積(たいせき)した所は、今は幅の広い谷になっています。
 この2つの崩壊で、29戸が埋没、131人が亡くなりました。
 崩壊地は、直径10m以上の大きな岩の塊が積み重なっていて、復旧は不可能といわれました
が、岩の風化が早く、次第に耕地や集落が復旧されました。
 崩壊のあった斜面は、岩盤が露出している個所もありますが、大部分は木が成長して安定し
ています。

                地学団体研究会 長野支部 内田克(日本物理探鑛株)
地盤・虫倉山の崩壊
善光寺地震で大被害
南の急斜面多数山崩れ
臥雲(がうん)の三本杉。
地震で18m滑り落ち傾いた(村天然記念物)
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