古澤巌さん・タイフーンについて

 私の大好きなヴァイオリニスト、古澤巌さん。

 1959年生まれ。桐朋学園、カーティス音楽院、モーツァルテウム音楽院などで学び、1998年から4年間、東京と交響楽団のソロ・コンサートマスターを務めました。
 1987年から始めた、照明、トーク、ジプシー音楽(下参照)が楽しい「ヴァイオリンの夜」。第1夜を高橋悠治氏、葉加瀬太郎氏ととも幕開けし、以後、フィリップ・ブッシュ(ピアノ)、ポール・コレッティ(ヴィオラ)フランシス・グトン(チェロ)とのバンド「タイフーン」での演奏が中心となります。

 長野県岡谷市のカノラホールにおいては1991年に「第1夜」が行われ、98年の第14夜が「タイフーン・ラストコンサート」となりました。以後は、タイフーンのメンバー以外のユニットで、ですが「ヴァイオリンの夜」は精力的に続けられています。

 私が古澤さんのファンになったきっかけは、93年の「ピース・ライト・ボックス」のCMです。それまではあまりヴァイオリニストを意識したことがなく、ヴァイオリンの音色に憧れていたものの、個々の音色や個性の違いを気にせずに「ヴァイオリンの音」「ヴァイオリンの曲」として聴いて来ました。が、このCMでの古澤さんの音色、「ショーロ・インディゴ」という曲。あまりに強烈な印象でした。 自由で艶があり、情熱的。「もっとこの人の音を聴きたい」と手に入れたCD「マドリガル」。なじみのチャールダーシュも、古澤さんの演奏は一味もふた味も違うのです!

 古澤巌という名前にアンテナを張り巡らせ、繰り返しCDを聴く日々を過ごし、ショーロ・インディゴの入ったアルバムが発売され、ますますはまった頃、長野県内でコンサートがあることを知ります。当時は在京中でしたが、帰省がてらカノラホールでの「第6夜」を聴きに行きました。
 ・・・こんな、楽しくてエネルギッシュなコンサートは初めてでした!コンサートのすばらしさを言葉にして伝えることはそもそも無理な話ですが、コンサート経験、いや、人生における様々な体験の中でも、これほど熱狂的な時間はなかったと思われるほどにすばらしいひとときでした。

 そして帰省後94年のカノラホールでの「第7夜」。以降ラストコンサートの「第14夜」まで、出産と重なった1回を除き、せっせとコンサートに通いました。
 その間、一般のお客さんより1日早くよい席を確保するため、カノラホールの会員にもなり、さらには古澤さんのファンクラブにまで入り、サイン入りCDやカレンダーを手に入れては嬉しがり、それまで特にアイドルだのバンドだのにはまったことのなかった私は、それらにはまっている人の気持ちを垣間見ることができたのでした。
 古澤さんのファンであることははもちろんですが、「タイフーン」のファンでもあります。他のユニットでももちろんコンサートに行きますし、また違った世界を見せてもらえ感動いっぱいなのですが、「タイフーン」のコンサートは、別格でした。

 「第7〜14夜」の中での思い出の曲は数え切れません。
 ポールとの、そのときの2人の掛け合いで毎回異なった音楽となり、研ぎ澄まされていく「パッサカリア」。
 ルーマニアのメロディの中で、本物のひばりのようにヴァイオリンが歌う「ひばり」シリーズ。
 群馬県大泉町の委嘱で古澤さん自身から生まれ、この町の時報にもなっている(ぜひ聴きに行きたい)「町の思い出」。
 言わずと知れた、ヴァイオリンの名曲の数々。
 大好きなフォーレやガーシュイン。
 フィリップがソロで弾いてくれるプログラムにないピアノ曲。
 ポールがピアソラに捧げた「I was thinking of you」。
 クリスマスキャロル。
 コンサートの最後に演奏されるグラズノフの「瞑想曲」・・・。

 1人1人がすごい力と音楽性を持ち、出会ったことでそれをさらに高めあい、心から音楽を楽しむ、聴き手を楽しませる姿。解散となった今は、心の中の記憶、そしてヴィデオ、CDで懐かしむしかありませんが、いつかまた「タイフーン」としてコンサートをしてくれることを願っています。  
 もちろん古澤さん、そして新しいユニット、元タイフーンのメンバー皆、応援しつづけつつ・・・。  

左から古澤さん、フランシス・グトン
 フィリップ・ブッシュ・ポール・コレッティ

(ジプシー音楽という呼称は便宜上用いらせていただきますが、本来この民族は「スィンテイ・ロマ」が正しい呼称です) 

(02.1.25)

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